スプートニク

 月曜日。ぱたぱたと仕事を片付けた。明日からついに入院である。帰り道ではスリッパ、マグカップ、スプーン、おはし、その他入院に必要なもの諸々を百円ショップで買い込んだ。帰宅して洗濯機を回した。ごうごうと音が鳴っている。その合間にカバンにシャツを数枚、寝間着、羽織れるもの。シャンプー、本、電子タブレット。入院で必要になるものって多いんだなと荷造りを終わらせた。一区切り付けると、洗濯ものを取り込んで、今はお刺身を摘まみながら暫く飲めないであろうハイボールを呑みながらぼんやりとしている。

 なにせ一年苦しんできた。鼻中湾曲と薬剤性鼻炎のコンボで、お酒を飲めばほぼ確実に片方の鼻で呼吸が出来なくなった。ちょっとの花粉症でも同様。一度鼻レーザーという鼻の奥の粘膜を焼くという施術も受けたのだが、さほど改善しなかった。もう限界だと決めて先々月に病院で紹介所をもらって、先月に診察と検査を受け、最短で手術を決めた。

 BUMP OF CHICKENが「鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事 」と歌っていたけれど、本当にしんどい日々だった。当たり前にできることの幸福について考えるいい機会だったというには随分と長い苦痛だった。サウナに行けば呼吸に集中出来ず、友人と酒を飲むのも辛い。まったくもって普通に眠っていても寝不足となる日々だった。明日からの入院で切ったり削ったり取ったりされるようである。全身麻酔は初めてかもしれない。まあ、ちょっと決意しつつ行ってきます。

 

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 あ、土日のどちらかに多分新曲を投稿します。かなり力を入れた一曲です。生きてまた逢いましょう。心配してください!

アニメが観にくくなった

 たまには人間臭いブログでも書こうと思う。十年と少しVOCALOID界隈で曲を書いている(三年ほど力尽きて音楽が嫌いな時期もあった)。長く音楽をやってきた弊害がある。趣味だったアニメを見るのが辛くなった。エンディングやオープニングで知り合いや、SNSで関わったクリエイター、それらが結構な確率で制作に参加しているのだ。自分は「わぁ、今、俺の時間なんだから出てこないで」と両目をきつく閉じて胸の内に湧き上がってきたウラヤマシイ!という気持ちを押し殺す。

 

 良い曲ですと褒めてくれて相互フォローにになったと思ったら、一瞬でスターダムを駆け上がった人。「仲良くしてください、すごい良い曲書きますね!」と相手側歩み寄ってきたのに、一瞬でリムーブしてきた割合薄情な人。同じサークルで出たこともある人。飲み会を囲んでいたとても良い人。今でもとても仲の良い友達の人。などなど。

 その人たちが僕の自分の休んでいる時間に、頑張ってるぜ!と呼んでいないけれど曲を歌詞を見せられる。相対して只のサラリーマンとして収まった自分になんだか惨めさが光に対象して影が濃くなるように見えてしまうわけである。君たちの曲は好きだけれど、趣味の時間に現れるとつらいよ!と。ごちゃごちゃした感情を持ってしまっていたわけである。

 

 それもまあでも、と。

 ようやくひとつの視点の獲得かと気持ちに着地点をつけられるように最近なった。魅せられるだけの観客だけではない視点。裏側を少しだけ見つめられる観点。発信を続けたから見られる新しい人生観ではあるのだと思った。大人になってから見る「星の王子さま」みたいに。若者以外が歌う「若者のすべて」みたいに。これはもう自分を誇れる一つの視点にだろうと。戦った結果だ。なんていじましいかもしれないけれど、歯を食いしばった一人の大人として思えるようになった。

 

 二年ほど前に忘年会で大学時代オリジナルバンドを組んでいたメンバーと隣の席になって、彼は俺に何気なく聞いた。

 

『まだ曲書いてんの?』

『うん、めっちゃ書いてる』答えた。

『すげーな』

 

 すげーな。
 なんかそれが賛美なのか、驚愕なのか、呆れなのか。はたまた只の相槌なのかわからんけれど、時々頭で繰り返している。

ボカコレと考えたこと。

 遠くから見つめていた。ボーカロイドコレクションが終わった。音楽はコミュニケーションの一部になったのかなと思った。四千曲だっけ。本当にたくさんの曲が投稿されているんだ。ここ五年で一気に音楽を作るというのはスポーツのルールと同じくらいに割合簡単に作れるようになったように思う。それは良い悪いではなく、時代の大きな流れのようだ。多くの作曲家の人たちがレベルの高い楽曲を多く発表していた。こういった大きなお祭りをユーザーとニコニコが大きな手を振って人を集めてくれるおかげで、そのコミュニティ自体を愛してくれていて、すばらしいイベントだと思う。たくさんの曲を友人と聴いたりして、個人的には「さようなら、アイカ!」という曲と16.7km/s」がお気に入りだった。知り合いのボカロPさんだと「月面に想いを馳せて」「rainy」という曲がよかった。たくさんの曲、たくさんの努力、おつかれさまでした。

 

 ボカコレというのは椅子取りゲームが根幹をなしている(カバーや、プレイリストの公開、その他はあるけれど、おそらくはランキングシステムが一番大きなものだろう)。毎時ランキング、日付ランキング。その椅子をどれだけ注目を集められたかで順位を競う。楽曲が良い、悪いというものではない。その指標として再生数、マイリスト数、いいね数、広告料でその一つの場所を奪い合うわけであう。

 

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 「リストイン文化」というのが話題になっていたらしい。そもそもでボカロP同士が聴き合いましょうという約束のもと、マイリストをし合い、聴き合い、コメントをしあう。それを外部SNSで約束しあうというものらしい。それらが音楽や作品の良し悪しではないだろうと声にしていた人もいるらしい。そもそもでボカコレというのはニコニコ動画が旗を振ったイベントである。そのルールが唯一であり、「本当の音楽の良さ」を見つけるイベントというよりも「ボーカロイドシーンを盛り上げる」という趣旨のもと行っているものであるので、それに対して「ずるいぞ!」などと思う事自体がおかしいとは思う。ないしは多く盛り上げることによって、ニコニコで再生数がそのタイミングで大きく上がり広告費が多く支払われるという事だろうか。そのルール内で参加して、いかにして注目を集めるか、その営業としての努力を怠らずに行う事こそショーレースというか、ルールとしては正解であるとすら思う(もちろんそこには多くの出会いも生まれるし、そういった営業としての側面だけをとらえることもよくないとは思っている)。そしておそらくは自分がランキングに参加し、誰かを押しのけるというものに参加しているのだ。ボーカロイドというものに帰属し、その恩恵をあずかってその戦いに参加しているのだ。

 

 凹んでしまう人の気持ちはわかるつもりである。でも「それ」を「それ」として処理しないといけない、そういう事を考えていかないと、心が苦しくなってしまうし、まるで自分の曲が誰かのものより劣ったものに自分で下してしまう事の一助にもなりかねない。そんな悲しい事はない。たくさんの人の中で心がごちゃごちゃにしてしまうだろうけれど、参加した人にはドライさと楽しさでお祭りを楽しんでくれていたらいいなと思った。自分はまた、お祭りに参加できそうな曲があったりしたら、参加できたらいいななんて思った。またブログを書きます。

 がんばって曲かかないと。

熱が通る

 金曜日。帰宅して、ぼんやりとする。体調が回復して、珍しく人と多く接する機会があり、ようやく一息とする。どの方々もようよう優しくしていただいて、自分なんかはとりあえず、さしみのつまというか人込みのノイズのような人間なので、会話をしてもらうだけでありがてえなという気持ちは持っている。

 

 帰宅し、弁当を食べてアニメを見る。そういえば体調を崩したり作曲に夢中になったりで、まっとうに見るのは久しぶりである。社会人で作曲に人生の比重を大きく傾けているとこういう時間はなくなっていたと気付いた。人生の時間の配分がどうしても仕事に偏る。ふつうのひとという肩書を得るためにはふつうのひとでいなくならなくてはならないんじゃないかなんて思う。仕事は長すぎる、心がどうやったって壊れ気味になる。そんなふうにどうしても思ってしまうのである。次はどんな曲が良いだろうと片手間に好きなコード進行をDAWに打ち込み、なんとも良くなる気配もなく、ダンジョン飯をサブスクで見ながらこの文章を書いている。明日には新曲videotapeを投稿する。年末年始に書いていた曲を点字さんに歌っていただいた。制作の話や歌の話は一旦置く。

 

 たんなるビデオテープの話。自分の中の悲しい気持ちを上手くろ過して形に出来た。今はもうレコードやカセットテープ、フロッピーディスクのようにビデオテープは「そんなものあったね」という映像媒体となった。今はもうスマートフォンに、パソコンに映像はaviやmp4で保存され劣化もされないまま記録されていく。最近はレトロブームという事でレコードやカセットで音楽を聴かれることもあるらしい。ビデオテープの消費期限は二十年と言われているらしい。二十年が寿命。そこでは壊れてしまうわけである。なんだかいっそ愛おしいとすら思う。永遠に残ってしまう媒体はなんだか恐ろしくも感じる。劣化して、忘れて、勝手にこんなんだったよね?そんな程度で記憶は良い気もするわけだ。ないしは最初から事実を転写した本のようなもののほうがいくらかよい。なんならどんどん精細になるテレビ映像もディスプレイも怖い。アップにしたら毛穴でも見えそうなテレビ番組の映像。永遠なんて怖いことはない。精細なんて恐ろしい。ずっと誤魔化させてくれ。そんな風に思っている。

 

 ただの怖がりである。高校生以降自分は映像に残るような人ではないというか、自意識が高いのか低いのか。映像もカメラも避けて生きてきた。たまに気分的な高揚でいきなりピースで画面に映ることもあったが、おそらくは平均的な人々に比べてほとんど残っていない。今は全人類言葉はログに残り、誰がどこで撮影、録音していなくはならない世界になった。それは削れず永遠に残る。大人は面倒といい、子供はそれを当然と受け入れる。良いとか悪いは置いておいて、そんなもんかと無理に飲み込んで納得させる毎日です。

 アニメを見ながら書き終わってしまった。落ちもないけれど。手持無沙汰とは、制作者に失礼かもだがまあダンジョン飯は漫画で読んでいたのでいいだろう(よくないんだろうな)。ただそんな風に良いも悪いも、感情を定めようにも相手にも自分にも定められず生きております。明日は新曲をどうか聴いてもらえたら嬉しいです。とっても良い曲です。とっても良い歌です。

崩す

 何度目かわからない、体調を崩す。お腹の真ん中の下がぎりぎりと定期的に痛み、倦怠感が付きまとい軽く咳をする。会社を休み、起き上がることも出来ず、月曜日は起き上がっていた時間は四時間くらいで、あとはずっと寝ていた。人間はこんなにも眠れる。嫌なイメージがずっと頭にへばりついており、夢の中には高校生の時の最も嫌いな人間が出てきて、そいつを木の棒で殴るかどうかの選択を迫られるというところで目を覚ます。起き上がると水をお腹に流し込み、ウーバーイーツでハンバーガーを頼み、それらを食べ終わるとまた救いか何かみたいに毛布を抱き込んで眠った。外で言わない事を何度も弱音で反芻し、こうやって文章で書くときにはそういった嘔吐に近いなにかはとりあえずはゴミ箱に吐き捨てて、しっかりとゴミ袋を固結びしたけれど、その弱音こそ俺なんじゃねえのか、自分を殺す気かと足元から声がするわけである。

 今日はなんとか出社し、定期的にギリリと襲う軽い痛みを無視したり、なんやねんお前と声を掛けながらも溜まっていた仕事を無心に片付けた。腸のあたりが痛かったのでストレスか、ないしは盲腸も疑ったけれど帰宅し終わってからはだいぶ落ち着いたので一安心した。とりあえずは小休止という事で無理に仕事おわりに作業をしたりせずに帰宅後は洗濯機を回し長湯をした。小説をぼんやりと読み、もう寝る準備に取り掛かっている。いつか死ぬにしても不健康では何もできずに生きる事になるのだ。どうせなら、不健康な一年を支払って健康な一か月を購入し、とても健康なまま突然の寿命を迎えてふっと消えられるような人生が良い。科学の力でなんとかしてほしい。

 なにも考えず、音が鳴ったらそこに足を運び、右から左にものを片付けるような機械になって一日を過ごしていたがキーボードを前にすれば一応は上記のような言葉がとりあえずは浮かんでくるものである。あーあ。

雨と窓

 イベントが終わった。暫くは人目に付く場所に足を運ぶという事もおそらくはない。年末からパソコンやギターと同化するように曲を作って来た。マラソンの休憩所で立ち止まったからこそ疲れが増してしまうように、どうにも目元に熱が灯り、疲れと眠気を纏って月曜と火曜を過ごした。このまま止まったら永遠に何もできなくなるんじゃないかといつも不安になる。ちょうどショート動画も忙しさから次弾装填されておらず、どうせ作るのならちょっとでも綺麗にしたいななんて思っているうちに数日が平気で過ぎるのだろう。以前からやろうと思っていたYOUTUBEでの配信はいつも聴いてくれている人が見てくれて嬉しかった。ゲームをしながらぽつぽつと喋った。終わったあとはなんだか向いてないなァと思って。「また何か機会を作れたらだな」と思った。

 

 一年ほど鼻炎と薬剤性鼻炎と鼻中隔湾曲症で左鼻の呼吸がままならない状態が続いており騙しだまし過ごしてきたがいよいよ手術をしなくちゃならないと思っている。一旦は耳鼻科で大き目の病院の紹介状をもらった。入院で時間を取られるのもお休みを消化するのも非常に億劫だけれど、それでももう治してしまわないと作業も飲酒も睡眠もあらゆる面がどうにもならなくなってしまっている。二月には初めてその病院に行くが、やはり大病院は予約が先になる。みんな病気なんだろう。病気は怖い。

 

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 さっきボーカロイドマスターのイベント会場から自分のCDを詰めたダンボールが届いた。1530円ですと告げられ、ちょうどの金額を手渡すと「助かります」とやたら笑顔で配達員さんが笑って言ってくれた。あの会場からどんなルートで帰ってきたのか俺にはダンボールの目がないからわからないけれど、なんかちょっとだけ想像した。あそこから全国各地にCDが飛び立ったりもしたんだろうなと栓もない想像をした。またがんばろうと思った。またブログを書きます。読んでくださってありがとうございました。

 学生時代の同級生の夢をみた。一緒に路上で歌を歌っていた奴だった。自分の音楽の最初の成功体験は金魚の糞だった事を思い出した。路上ライブを友達と一緒に行ったときあっさりと何人もの人が足を止めてくれて、音楽を聴いてくれた。当時はゆずとかを歌っていた。歌を歌うとこんな簡単に誰かと繋がれるのかと思ったが、それは単純に一緒に歌ってくれた奴が上手で容姿が整っている友人だったからだった。

 あそこで自分もなにかそこに起因していると勘違いしたところが音楽の間違った成功体験だったと思う。自分が一人で歌うようになると物凄い音痴で、凡庸な小柄な人間だった。当然人は立ち止まらず、六時間とかでかい声を出して、そして歌が下手過ぎる事も気付けないまま。努力とすらもよべない只の時間の浪費をし続けた。数人の人と路上で出会えた事が唯一の救いではあったけれど、ただただ自分は才能が無く、価値のない人間だという事を思い知った学生時代だった。そこから何故か曲を書き始めた。美術は当時から5だったからそういった成功体験を絵で獲得していたら自分は絵描きを志したのかもしれない。小学校のころは漫画を描いていたし。

 無才能なのに続けて。まったくもって自分らしい滑稽な滑り出しである。それでも継続は力なり、水滴石を穿つは正しく。一応は商業でなんどか仕事が出来るほどにはなれたが、どう考えても初期値が低すぎる影響はいつまでも自分の音感の無さで自分を苦しめ続けている。

 

 成功体験。誰かに認めてもらいたいというのが音楽の初期衝動だった。もてたいとか良く聞くけれど、そんなたいそうなものではなかった。自分が何か誰かと違う事を行っていたら、せめて同年代の人間が自分を認めてくれるんじゃないかと思っていた。結局自分のある程度の曲が書けるようになったのはニ十歳を超えてVOCALOIDで書くようになってからだった。正しい努力や勉強方法を身に着けていく事は難しい。正しい先生はそう簡単には見つからない。

 路上ライブの頃の相方はすぐに音楽を辞めてしまった。彼が歌えばすぐに人が足を止めた。そしてそれが当たり前だったのだろう。僕が欲しくてほしくてしかたないものは彼にとっては蛇口をひねれば出てくるただの水道水と同義のものだったのだろう。苦労して、泣いて、どうしようもない徒労を繰り返したからこそ、自分は誰かが音楽を聴いてくれた時に泣くくらい嬉しくなった。

 人生は不平等だけれど、固執と偏執が自分を育てたんだろうなと思うが、まあそれでも彼より幸福だとか、同じようにみんな大変だとか言いたいわけはない。なんだか、そんな事を思い出した。

 また火曜日。

 冬空の下をとぼとぼと帰る。長かった年末のお休みもついに綺麗に仕舞われて、面白味のない生活が再開した。へらへらと人間関係が壊れない程度の笑みを浮かべて一日を終える。お金のために働いている。そのお金も一応は銀行口座の数字はカウントアップしていくが何年も同じ職場で生活を送っていると、いったい何のためにここにいるんだなんて解答のない問題を自分に問うてしまう。教養がないからか精神がいつまでも十五歳くらいで止まってしまっているからか、それに「まぁ生きるため」と明確ではあるけれどしょうもない台詞しか吐けないわけである。帰り道で日高屋でレバニラ定食を注文する。帰り着いてこまごまとした連絡をする。ショート動画を作るとか、音関連の細部の詰めとかタスクをメモ帳に書き込む。洗濯機を回す。ごうごうと一週間ほどの洗濯物が回る。大した生活をしてるわけでもないのにゴミはたくさん出るし、服は汚れる。なんとか一般市民に擬態するためにこういったこまごまとした事柄を消化して気付くと死ぬんだろな、と思った。

 

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 ずっと仕事中槇原敬之の「もう恋なんてしない」を口ずさんでいた。「片隅で迷っている」という歌詞を幼いころ「サーカスで迷っている」と間違えて覚えていた。どうしてこの人はサーカスで迷っているんだろうとは思っていたけれど、自分にとっては歌詞なんてものは当時その程度のものだったのでそうか、サーカスかと勝手に納得していた。該当の曲で「いつもよりも眺めがいい 左に少し戸惑ってるよ」という歌詞があってずっと好きである。恐らくは車に一緒に乗っていて、助手席の相手の事を思った言葉だと思う。もしくはいつも手を繋いでいたのかもしれないけれど。簡単な言葉で、ただ悲しいと伝えるわけでもなく、そのぽっかりと空いた穴みたいなものを表現できる歌詞が好きだ。難しい言葉を多く使う歌詞が悪いとは言わないけれど意味がなきゃいかんなと思いながら、ずっとマスクの下の口の中でぶつぶつと歌っていた。やっと自由を手に入れた 僕はもっと寂しくなったなんてさ!

低体温

 年が明けた。幸福だった年末休みが終わり、出勤する。ほぼ個人部署なのでだらだらと降ってきていた仕事をこなして一日が終えるが、やはり労働はストレスだ。それでもまぁへらへらと笑いながら、年始の挨拶なんつって頭をふかぶかと下げて、過ごした。

 「足を止めない」と「誉める」という目標を掲げた。とりあえず帰宅してからもショート動画を二本ほど作った。褒める、についてはあんまりまだ年始から誉めていない。誰かに出来た事なんて「ごちそうさまでした」と日高屋さんの定員さんに丁寧に接したくらいである。部屋に貼るポスターみたいに。みつを氏のありがたい短文詞のようにとりあえずは心に飾りつつがんばっていこうと思っている。

 

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 次は何の曲を書こう、と考えあぐねている。先月と年始から割合決まったテーマでがりがりと作曲は進めてきた。でもいよいよテーマが無くて、どうしますかねと思いながらとりあえずはギターロックでも書くかと分かりやすいコード進行で分かりやすいアルペジオを重ねてそれなりのトラックらしきものを作ったが、本年初の没曲を生み出した。曲は一つの面白味のある視点や、憧憬のように張り付いた綺麗な光景みたいなもので作り出す事が多いけれど。枯渇している。うーむ。

 

 実家に帰った時世界一嫌いな場所であった地元の中学校に足を運んだ。そこは更地になっていて、新しい建物すら立っていなかった。だだっぴろいFateの戦闘後のような更地。一応は立ち入り禁止の看板があって、ロープでそこは仕切られていた。何か感情でも動くかなと足を運んだんだけれどボケエとそれを見つめて「建物までなくなるとなんかムカついた事すらなかった事になるみたいで嫌な気持ちになるな」と答えにもならん事を思った。あそこらへんには校庭があって。あそこらへんはピロティがあったよな。あそこらへんは体育館で。大嫌いだった奴らの顔や名前を思い返すといくらかは忘れていたりした。きっと地元に根付いたやつもいれば、県外にとびちっているだろう。死ねとまでは言わないが是非不幸になっていただきたい奴もいたなと思う。

 歌になんねーかなと願うけれど、別にならんからブログやFANBOXのネタ程度だな。でもまあなんか実家の自分の部屋でボケエと過ごしていたよりかは有意義に思った。気持ちの上下は大事だ。部屋にいると何の刺激もなく過ぎ去る事こそがなんだか損みたいに感じるのはなんなんだろうな。

 

 結局上手くこの文章もまとまらなかった。上手に締めくくれる文章を心がけているけれどそんなこともあるさと思った。本年もよろしくお願いいたします。

口笛

 一日の業務を終えて帰宅する。いい加減に健康的な生活に立ち戻ろうと、何冊かKINDLEで買ってあったダイエットの本や、睡眠の本を流し見していた。野菜からだろうと思い、スーパーに立ち寄ってじゃがいも、キムチ、白菜、もやし、卵、ピーマン、人参を購入して帰宅する。一本だけ煙草を吸い、この習慣もそろそろさよならだなと思い、残っていた数本の煙草を千切って捨てた。洗濯機をかけながら、食材を切って適当なキムチ鍋を作る。スマホではYOUTUBEで動画を流しっぱなしにする。ぐつぐつと鍋は噴きこぼれる。焦ってタオルでふき取った。

 やっぱり冬は鍋である。鍋と言えるのかもわからないけれど。それをもそもそと食べ、お風呂も沸かした。年末へ向けて来年からまたがんばっていけるように、整えていかなきゃいかんよなと思った。

 

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 最近はきちんと作曲が出来ている。一曲はしっかりと完成まで。一曲は最後の仕上げ。一曲は今サビが終わって、取り掛かっている。これだけしっかりと進められている月は年でもそうはない。平気で数か月はスランプに陥る。一緒に音源を交換し合える友人の影響は大きい。やはり、人は近しい人に反射して、気持ちのハンドルを切っていく。ボカデュオで応募してくださった方のXを見たことも大きかった。頻度の差こそあれど多くの人が自分なりの精一杯で活動を続けている。活動する人は数年前に比べて多くなったようにも思った。作曲はしやすくなった。歌える環境は整いやすくなった。方法を教えてくれる先生はインターネットにあふれている。自分だけの創作や自分だけの発信方法なんてないのかもしれない。あらゆる事の答え合わせが終わった集客というルールに従いすぎるのもどうかとも思う。自分がどうしたいんだろうと考えて、結局誰か一人がめちゃくちゃ刺さってくれる曲を書くしかないかとシンプルな回答に最終的に帰結する。自分をしっかり自分で持ちながら、それでもってこの人の音楽なら聴いてみたいと思えるような人でいないとなと自戒する。何度目だろう。迷い続ける事が正解であるかもしれん。

 

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 ブログをまた再開する事とした。火曜日と金曜日に予定が無ければ書こうと思う。なんてことのない日記みたいな文章でも、誰かが読んでくれたら良いなと思う。がんばって生きてます。また金曜日。

透明な

 最近は手ぶらで会社に行っている。胸ポケットに名刺入れと数枚のお札とクレジットカードとsuica。ピーコートを羽織って、一冊文庫本を胸ポケットに入れる。あとはBluetoothイヤホン。これで最悪な満員電車も少しはマシになる。寒々しい空をボケーと見て、たまにいい感じだったらスマホで写真を撮る。毎日毎日似たような仕事を続ける。どうしようもない社会人だ。でもまあなんとかかんとか自分で稼いだ金で日々生きているのだからたまには誰かに褒めてもらってもいいんじゃないかと思うが。褒めてもらう代わりにいくらかの給料を頂いているわけである。まいったねえ。

 

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 自分が唯一もっている作曲の美点はちょっと変な視点を入れこむ事だと思っている。むしろそういう視点がないとなかなか形になってくれないまである。くまのぬいぐるみの一人称とか。風俗嬢の子の恋の話とか。水族館の最後の日とか。恋をしていたけれど一切対象の相手にアプローチもできなかった子の日々を書いたり。穿った視点で歌詞にしてきた。もっと変な歌詞を書いてみたいと思って、最近は「あなたが株式会社ならいいのに」という歌詞をスマートフォンに書き込んだんだ。なかなか面白い歌詞だと思って見直してみるとちょっと馬鹿っぽいと思って結局辞めた。不思議な視点ってのは表現が追い付かなきゃチープと表裏一体で難しいなと感じる。まったく難しいなぁ。やっと土日になるので今週こそ1コーラスくらい作り上げたいと思う。

 

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 ボーマスおつかれさまとかそういえば文章にしていなかった。orange color disc.から今日セカンドセカンドさんの曲「マーマレード」が投稿されていた。とてもいい曲なので聴いてくれたら嬉しい。「聴いてくれたらうれしい」なんて、俺は一体なにさまだとは思うけれど。blueのときもorangeの時も俺とヘリが主催になって、VOCALOID新曲リンクとかで探してお声掛けしている。参加してくれた人にもっと力添えできたらいいのにというはがゆさが常にある。でも、なんか俺らが動かなかったらこういう出会いも音楽もなかったのかと嬉しい気持ちにもなったりするのである。

 

 ボーマスのハイライトなんだけど、CDを購入してくれた人がありがたい事にサインを求めてくれた。その時「俺」「ヘリ」「セカンドセカンドさん」が売り子をしいた。俺はウサギの絵を書いて「Yono」と書いた。ヘリさんは自分のサインを書いた。セカンドセカンドさんが「俺、サインとかないんすよね…セカセカって書きます」と言っていた。お名前をフルネームでサインとするのかな?と思って、のぞき込むと「セカセカ!」と書いていた。本当にセカセカと書いていて、謎のビックリマークも追加されていて、ちょっと笑った。チャーミング!

 

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 久しぶりにブログの方で文章を書いた。またぽつぽつ書きます。またチカヂカ。

23世紀の青色

 木曜日。まる一日、ぱたぱたと職場内をいったりきたりと奔走していた。疲れ果てて家にたどり着いた。煮物を食べ、とろたくの巻物を食べて、いわしの缶詰を食べた。今ゆっくりとレバーと小松菜を煮ながらこの文章を書いている。なんだか今日はとても疲れた。休憩時間は色々なブログを読んでいた。生活保護の人のブログ、作曲家のブログ、ミニマリストのブログ。窓から生活をのぞき込んで、みんな懸命に生きていた。ランキングサイトとかの一位とか二位の方とかのをざっと目を通したけれど短くても一年とか、長くて十年続けている人がいた。やっぱりなんだかブログが好きである。話題があってもいいし、ただの日記でもいい。そこに滲んでいる考えとかをぼんやり頭に入れて通りすぎていく。自分のブログもそういった一つであってほしい。たまにこう、ふっと覗いてくれるだけで嬉しい。まだ結構頑張って生きているんだぜ。

 

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 23世紀の青色について書いてみる。FANBOXでどれの話読みたかったりしますと聴いてみたらリクエストを頂けた。嬉しかった。

 セカンドアルバムの最後の曲。23世紀の青色。たしかアルバムの最後の最後に作った曲だった。ほとんどの曲がそろいきった後、「図書館の閉館時間」を書いたあととかに取り掛かったと思う。どんな曲なら、この大事なアルバムの最後にふさわしいだろうと考えた。蛍火を公開して八千マイリストとかになって、注目してもらえたが、その半年以上をかけて作ったのが蛍火だったからそれに負けないように自力を必死にあげていた時期だったと思う。

 当時付き合っていた女の子がいて、その子に充てた曲だった。ラブソングというと非常にこっぱずかしい表現だけれど、斜に構えたわけでもなく一歩俯瞰したような、でもちゃんと自分らしいようなそんな歌になったと思う。まあ今聴くと23世紀に自分の子供の子供がいるなんて多分ねえんだろうななんてちょっと薄暗い気持ちにもなる。その時はその未来を信じてもいたんだよなあ。長い時間があの曲を書いてから経過した。これくらい真っすぐで、でもちゃんと色んな視線を含めている曲をまた書きたいなんて思う。人を強く好きになるなんてことは今後あるのだろうか。ねー。

 22世紀とか23世紀とかそういう言葉がドラえもんの影響なのか、語感が好きだったからそこに青色と加えて「23世紀の青色」ってタイトルにした。

 聴いてくださってありがとうございました。また明日。

空想の街

 十月がもう終わろうとしている。十一月になってしまえば年の終わりを意識し始める。少しだけ肌寒くなってきていて、毎日の仕事に追われ、曲は出来ないまま、毎日ラジオ体操と節酒、ストレッチ、早起き、長湯に努めている。いよいよおじいちゃんでしかない。一歩違う何かを自分で起こさなければあまりにも大きな流れみたいなもんにずるずると流されていって、このまま死ぬんでしまうんじゃないかと危惧する。一体自分は何歳まで生きるんだろう、そして誰に何を怖がって毎日誰でも出来るような仕事をして埋没していくのだろうと思う。唯一の抗いであるところの作曲がうまくいっていないと不安になる。不安なうちはまだいい、なんならなんとなく毎月入る給与に安心して、なんとなく職場の人に笑いかけて、なんとなく日々を過ごしてそのままであろうとする。まったくもって普通の毎日。俺が傍観者です。

 


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 ブログのネタを考える事が難しいので、何度かブログでは書いた事があるとは思うのだけれど、一曲ずつ思い出してそれをまた文章化してみようと思う。活動を思い出していくのは大事。何度でも書いて、知ってもらえる事がきっと大事。

 

「空想の街」って曲について。

 最初のアルバムの一曲目。ボカロで初めて作った曲の話。

 

 大学を卒業してから俺はブラックな印刷会社に就職した。土日にたまにあう大学のころの友人にボーカロイドを教えてもらって、二人で曲を書き始めたのがこの活動のスタートだった。俺はボーカロイドもDAWも持っていなかったので、確か友人の家でメロだしをして作り始めたと思う。サビのメロディを「らららら らーららら らーら ららら」と一番好きな4-5-6の進行で歌うと思った以上にハマリが良くて二人で一日でかなり作りこんだと思う。俺がギター。友人がドラムとベースを打ち込んでくれた。ギターとベースは生。ドラムは当初ドラム音源なるものがなかったのでビートマニアのゲームの音をなんとかかんとかいじくって友人が作ってくれた。俺はそのころドラムがまったくわからず、これが、ハイタムって奴ですか?というような状態だった。ドラムを叩ける奴は手と足をばらばらに動かす事が出来る超人だと思っていた。

 空想の街ってタイトルにして、うちの姉に絵を書いてもらって。ボカロPは友達がいなくて親族に絵を書いてもらいがちである。初音ミクに歌ってもらうから「ワタシ」っていう一人称で初めて歌を作って、なんだかこそばゆい気持ちになった。

 もともと大学の頃に組んでいたオリジナルバンドでやっていた曲に「crow」ってタイトルのものがあった。鴉が友達がいないから、自分の影にえんえんと話しかけているみたいな歌。それをテイストとして盛り込んだ。なんか今久しぶりに歌詞を見てみると「自転の音」とか「わたしがね集めて来たもの、影のないガラクタばっかり」とかなかなか悪くない言葉を並べている。あとは今も思うけれど自殺はしたくないけれど、スーっと消えちまうなら誰も傷つかないし、それって悪くないなみたいな事を想っていた。ブラックな会社で日々を朽ちさせてばかりいたから、疲れていたんだと思う。

 

 あそこから随分とたくさんの曲を書いた。でもやっぱり初期衝動ってすごくってあの時の音源として形にしていく感動は二度とはないものなんだと思う。バンドはやっていたけれど、ちゃんと繰り返し聴くというようなものはちゃんと形にしたことはなかった。いいじゃんいいじゃんと友人と笑い合いながら作った。やったこともないのにリードギターを一生懸命考えた。動画ってのを初めて作った。コンプもEQもわからずつっかえつっかえ初音ミクを調律した。「私は」って言わせたいときは「ワタシワ」って入れるんだ。そっか。ビブラートって入れ方によってこんな感じに聞こえるのか。すごーい。みたいな。戻りたいわけではないけれど、ちゃんとそういうのを忘れないようにしていきたいと思う。明日はFANBOXを書きます、また明日。

Letters

 日曜日は淡々と動画を作った。暫定の完成まで作り上げると昼過ぎだった。あともう少し投稿前には細かく展開を入れてみようと思う。前より少し出来る事が増えたなら良い。何が綺麗かとか、何が動画を見ていて気持ちがいいかとか、そういうのを考えた。曲が言いたい事に混じるように、言葉を動画が邪魔しないように、丁寧に組み立てた。

 珈琲カップを机に置いて、がらがらと窓をスライドさせて、べランダに出ると降っていた雨が止んでいて湿った空気の青空だった。今日はもう終わりと口に出した。ぼんやりとゲームをして、少しお酒を飲んで、本を何ページが捲った。次はどんな歌を作ろうと思って色々とコード進行を夜中に試した。演奏スタイルがGやDやCが多かったので、次はEやAで作ろうと思った。

 月曜日。早朝に家に定期券を忘れる。急いで戻ってもどう考えても間に合わない時間だった。致しかたなく職場へ、腹痛にて午前休を伝える。ちょうど仕事が溜まっていないタイミングで助かった。しかしまあ、自分の愚かさにうんざりしたあと、もうこういうので自分に辟易するのにもうんざりだといっそ、足取り軽く駅から自宅への道を景色を見ながら気分よく歩く。良い天気。涼しい。馬鹿は死んでも治らないけれど、馬鹿でも後悔なんてしなくてよいのだ。自己嫌悪なんて本当に自分を攻めたい時だけでいい。仕事なんて金のためだけにやってんだ。誰に言うでもない。

 午前は軽く作曲をして、午後は出勤して溜まった仕事をぱっぱと片付けた。あっという間に定時になると「ほな」と聞こえないように口を動かして帰路につく。後悔も自己嫌悪も可能な限り減らしてしまおう。知ったことか人生第二章。明日はFANBOX。読んでくれてありがとう

 

質問箱「自己分析、気付いたらもう五年も経ってたらしいです よのさんが久しぶりに投稿した曲で飛んで跳ねて喜んだし、変わらずよのさんだって分かる曲で安心してました。それに歌詞も上手く言葉に出来ないけどグッと出来て、今でもお気に入りの曲の1つです 勝ちも負けもしない納得の勝利 ←ここの歌詞がめちゃくちゃ心に残るくらい好きです」

 

 もう五年も経ってたのかァ。商業音楽をやろうとして四年間で貯めた貯金を使い果たし諦めて。バンドもいよいよ終わるか、みたいなタイミングだったっけなぁ。そこらへんはなんか割といろんな良くない感情が混ざっていて記憶が定かではありません。バンドやってた時はやたら自分の中ではあまり良い曲が書けなくて、そんで久しぶりにボカロを自分の好きなコードと、リズムを使って、ただ愚痴みたいな自分のための曲でも飛んで跳ねてぽよんぽよんしてくれた人がいてくれたのなら満足です。

 納得は勝利なのか。果たしてどうなる。質問箱嬉しかったです、また明日。

フォーク

 金曜日。早朝六時に目を覚ましてラジオ体操をする。肩こりを治すために施術の先生に言われた事を従順にこなす。出勤。外はもう秋めいていて涼しい。もう長袖のカッターシャツは腕まくりをしなくてもいい。満員電車に押しつぶされながらYOUTUBEを音声だけ聴いたり、好きな曲を流す。職場の最寄り駅からとぼとぼと歩く。通勤路は駅から二十分ほどかかるところでわざと降りている。いろんな順路を使って新鮮味を感じていたのだけれど、さすがに五年も務めているとどれも見慣れてしまっている。ビルは空をよく反射した。路地裏では疲れた目でサラリーマンがアイコスを空に吹かしていた。女性はまだ日傘を差している。外国人観光客らしき人はサングラスをしていた。外国の人って足が長すぎる。同じ生き物とは思えない。

 昼休みは延々とSWITCHでハクスラゲーをする。これが新たに生み出したハスクラダイエット。朝と夜にご飯を食べて、お昼はわざとゲームを起動して夢中で一時間を経過させる。これによって食事回数を無理やり減らすことが出来るのだ。賢すぎる。富山の神童と呼ばれていただけはある。馬鹿だ。力技だよばーか。金曜日、仕事終わり。やっと一週間が終えたとまた高い空を仰ぎ見ながら帰路をたどる。自宅の最寄り駅で整骨院に寄る。一時間と少し施術を受ける。触診をされて、体をタオルで暖められて、針治療をして、電気を流される。指圧による施術を受ける。「あんまりよくなりませんね…休日も楽器をやられてるってどれくらいですか?」「い、一日中」「きゅ、休憩してください」と冷めた言葉を頂いた。三日間通ったがなかなか体が解けなくて困るがちがちに体に溜まったしこりはそう簡単なものではなかったみたいだ。

 帰宅してから食事を軽く食べて、お風呂に浸かる。肩まで浸かる。天井を見る。スイッチを持ち込んでいるのでまたゲームの続きをする。疲れっていつの間にか年単位で溜まるんだなって思う。思った以上にあらゆるものごとは過去に連続する。ちょっとした嫌なことも心のどっかにたまっている。そんでちょっとした嬉しかった言葉もそいつらと一緒に漂っている。さてはて。五日ぶりにハイボールを今飲んだ。おいしいなあと思えたので今日は百点である。少し遊んでさっさと寝よう。明日も良い日ならいいなあ。