音楽とインターネット

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はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 いつも通りにブログを書こうと、はてなブログを開くと応募ページがあったので試しに書いてみようと思った。「インターネット」や「テキスト文化」について書いてみればなんでも良いらしい。

 

 自分とインターネットの遍歴でもつらつらと書いてみようかとぺたぺたとキーボードを打つ。そもそも最初にパソコンに触れたのっていつだったかと記憶を遡ってみれば、父が買ってきたウインドウズ95だった。でけえ四角い箱で、そもそもインターネットという事がよくわかってなかった。何処にもアクセスせずに、えんえんとペイント機能でペラペラ漫画をひたすらに作っていた。一体なにがしたかったんだ。三百枚を超える超大作だった。早速インターネット関係ない。

 あとなんか姉が気持ち悪いピンクの熊とクリックで戯れていた。たしかポストペットっていうメールを運んでくれるたまごっちみたいな奴だった。結構流行ってた気がするけど今だにどんな機能なのかわかっていない。

 

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 次に小学生か中学生にあがって「ゆず」のファンサイトや「SURFACE」のファンサイトに入り浸り始めた。公式ホームページではなくて、ファンが作るファンのためのサイトである。ゆずは未発表曲も結構あったから、そういったものをファン同士が交換しあっていたり、あとはチケットの余りの交換等を行っていた。

 そこで最初に出逢ったのがチャットだった。もうなんつーかブレイクスルーだった。文字で知らない誰かと話が出来ていると驚愕した。今までは近所で草カエルを捕まえて池に投げつけるような遊びしかしていなかった少年が、ついに異世界交流を始めた瞬間だった。この箱の中に誰かの言葉が遥か彼方から届くのだ。そしてその人は今世界の何処かでこのわけのわからない箱の前でキーボードをぺたぺた触っているんだ!なんて想像を膨らませた。そしてどう考えても共通の好きなアーティストから、恋が芽生えるんだなんて思ったけれど富山の超辺境に閉じ込められていた自分は、当然オフ会なんぞも一度も出来ずに終わった。でもぐだぐだとチャットでだれかとお話するためにキーボードの打ち方はココで覚えた。やっぱ楽しいって物覚えを一番加速させるよな。

 

 

 そんでゆずのファンサイトの中には自分自身もゆずのパクリみたいな曲を投稿できるサイトもあった。

 なんか「かぼす」とか「ドラえもん」とか「T’z」とかそういう有象無象が、かなり音質の悪い弾き語り音源をアップロードしていた。俺もそこに交じって曲を投稿しはじめた。音痴すぎる上に、音楽ソフトの存在も知らないから、ウインドウズの付属マイクに一発どりで録音して、さらにそれをウインドウズから再生してタンバリンを叩くみたいな最高にアナログな方法で多重録音をしたりしていた。録音中に母が一階から「ご飯よ」と呼ぶと本気でキレていたりした。馬鹿だったし、母に謝りたい。

 ああ、一度驚いた事があった。ボーカロイドを投稿するようになってからその当時から俺を好きでしたという人が俺にTwitterでDMをしてくれた事があった。十年も二十年も越えて、死ぬほど少ない再生数でも誰かが自分を見てくれているもんだなと嬉しいやら恥ずかしいやらと不思議な気持ちになった。

 

 そんでだんだんと自分が発信側に回って、人生を過ごしていくことになった。ホームページも作ってみたし、小説も投稿してみた。ミクシーとかでオフ会とかも初めて経験する事になったし。ニコニコやYOUTUBEで曲を投稿するようになっていった。

 

 次の転換点はTwitterだった。インターネットコミュニケーションの次の転換点だった気がする。お互いフォローしてないと言葉が見えないっていう所。今思えばどんなに有名人であっても結局は人は一対一みたいな気分でいた。それまでの人生は。それが壊れた瞬間だった気がする。mixiとかだって「招待」とかで入ってマイミクっていう繋がりという制度だったのに、Twitterは片側からの監視が成立するようになった。

 フォローが少なく、フォロワーが多いと、どんどんとお立ち台に上がっていって王様みたいになっていく。すげえ制度だな。

 

 まあ、フォローフォロワーの関係性は置いておいて、もう一つ、タイムラインの機能にどっぷりとまた俺は嵌った。仲の良い作曲家友達と自由なチャットを構築して、いつだってスマートフォンでログインして会話をしていた。誰かの紹介でだれかに出逢って、つぎつぎに世界が広がっていくような感動があった。

 

 

 そんでまあ色々あって、今になる。

 この記事の落ち。

 なんかすんげーつながるの疲れたから、俺はブログに引きこもった。

 なんか人がいっぱいで凄い人もいっぱい。

 みんな良い人ではあるのに、もうルールとしてRTで押しのけて、ハートで殴るみたいな修羅の国になった。それはあっちこっちに広がってインスタもFacebookもTiktokも。

 そしてどうしても混じれば、それが欲しくもなってしまう。だって好かれたいって人間の本質だからなあ。

 

 でも怖いので、俺は小さな場所に戻って、ほそぼそと曲を書いて、YOUTUBEとニコニコにアップロードしている。往年の親友も「教室みたいだよな。なんか人は嫌いじゃないのに、雰囲気が悪くなったよな」みたいな事を言っていた。今後もずっとインターネットと付き合っていくけど、こんな感じに自分でふれあい方を考えていかないと難しい時代になったねえ何て思っております。

 なかなかにまとまったんじゃないかな!また明日。