ボカコレと考えたこと。

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 遠くから見つめていた。ボーカロイドコレクションが終わった。音楽はコミュニケーションの一部になったのかなと思った。四千曲だっけ。本当にたくさんの曲が投稿されているんだ。ここ五年で一気に音楽を作るというのはスポーツのルールと同じくらいに割合簡単に作れるようになったように思う。それは良い悪いではなく、時代の大きな流れのようだ。多くの作曲家の人たちがレベルの高い楽曲を多く発表していた。こういった大きなお祭りをユーザーとニコニコが大きな手を振って人を集めてくれるおかげで、そのコミュニティ自体を愛してくれていて、すばらしいイベントだと思う。たくさんの曲を友人と聴いたりして、個人的には「さようなら、アイカ!」という曲と16.7km/s」がお気に入りだった。知り合いのボカロPさんだと「月面に想いを馳せて」「rainy」という曲がよかった。たくさんの曲、たくさんの努力、おつかれさまでした。

 

 ボカコレというのは椅子取りゲームが根幹をなしている(カバーや、プレイリストの公開、その他はあるけれど、おそらくはランキングシステムが一番大きなものだろう)。毎時ランキング、日付ランキング。その椅子をどれだけ注目を集められたかで順位を競う。楽曲が良い、悪いというものではない。その指標として再生数、マイリスト数、いいね数、広告料でその一つの場所を奪い合うわけであう。

 

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 「リストイン文化」というのが話題になっていたらしい。そもそもでボカロP同士が聴き合いましょうという約束のもと、マイリストをし合い、聴き合い、コメントをしあう。それを外部SNSで約束しあうというものらしい。それらが音楽や作品の良し悪しではないだろうと声にしていた人もいるらしい。そもそもでボカコレというのはニコニコ動画が旗を振ったイベントである。そのルールが唯一であり、「本当の音楽の良さ」を見つけるイベントというよりも「ボーカロイドシーンを盛り上げる」という趣旨のもと行っているものであるので、それに対して「ずるいぞ!」などと思う事自体がおかしいとは思う。ないしは多く盛り上げることによって、ニコニコで再生数がそのタイミングで大きく上がり広告費が多く支払われるという事だろうか。そのルール内で参加して、いかにして注目を集めるか、その営業としての努力を怠らずに行う事こそショーレースというか、ルールとしては正解であるとすら思う(もちろんそこには多くの出会いも生まれるし、そういった営業としての側面だけをとらえることもよくないとは思っている)。そしておそらくは自分がランキングに参加し、誰かを押しのけるというものに参加しているのだ。ボーカロイドというものに帰属し、その恩恵をあずかってその戦いに参加しているのだ。

 

 凹んでしまう人の気持ちはわかるつもりである。でも「それ」を「それ」として処理しないといけない、そういう事を考えていかないと、心が苦しくなってしまうし、まるで自分の曲が誰かのものより劣ったものに自分で下してしまう事の一助にもなりかねない。そんな悲しい事はない。たくさんの人の中で心がごちゃごちゃにしてしまうだろうけれど、参加した人にはドライさと楽しさでお祭りを楽しんでくれていたらいいなと思った。自分はまた、お祭りに参加できそうな曲があったりしたら、参加できたらいいななんて思った。またブログを書きます。

 がんばって曲かかないと。