書きたい事なんて

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 珍しく残業をして、速足に最寄り駅へと歩いた。YOUTUBESpotifyを利用して、機械が導き出したお勧めの音楽をたくさん聴いてみる。自分と共通の趣味を持つ人間が好んだものが自分のもとに届けられているのだろう。あとはどっかの知らん誰かが作った曲が耳に入るたびに、詳細を想像してしまう。スタジオで録音して、うだうだと歌詞を書いて、毎週一、二回は集まって曲を鳴らして、今や売れないであろうCDを作ったり、インターネットの海に曲を放流する。天才の曲が一瞬で聴ける。凡人の曲もいくらだって聴ける。それに絶望したり、誰かよりマシだと思ったりするんだろうな。そんでそんな狭量な自分にまた嫌気がさしたりするんだろうな。想像力がたくましすぎて、そんな事を想う。

 

 数か月病気でいるか、ソーシャルゲームに浸かるしかしていなかったので、その反動でようやっと本を読み、映画をみて、アニメをみて、と吸収に励んでいる。久しぶりに音楽を聴いていて思ったのは、自分の鼻歌に好きなメロディが増えていた。好んだ音を明確でなくても記憶しているようで、その音の上下を楽しんでいる。

 しかしまあなかなか歌詞が好きなアーティストって出てこない。歌詞なんて自分が一番いいものが書けると思っているくらいがちょうどいい。歌ってのはだいたい極論だ。陰キャはちょっとした陰キャだったはずなのにいつの間にか死にたいとか言い出すし。陽キャはパスタを茹でだすし、仲間が最高とか言い出す。もうちょっと塩梅を考えていただきたいが、美しい自分の精一杯のメロディを奏でながら「なんかちょっと友達とソリ合わない最近で、まあ悪くはないけどよくもない」とかそんなサビは誰の胸も打たない。でも書いていて思うけど、そういう歌詞も書きたいなんて俺は思う。

 変なカウンター精神である。

 

 カウンター精神はいつもある。排水溝のぐるぐるとか書いたときも、一回も好意を向ける相手に会う事なく、心の中で押しとどめて、自分で納得させて、そんで前進するというワケのわからない歌詞を書いた。あれはよくできていたと思う。恋も愛も知ったことか。孤独ですらないから天才である。誰も認めてくれん天才でありたい。それは天才ではない気がする。

 

 今日も好き勝手にブログを書いた。明日もブログを書きます。水曜日はFANBOXでラジオを投稿します。曲が出来てないけど、とりあえずこうやって生きています。一生懸命です。拍手喝采、カーテンコール。マタネ。