落ちてたスマートフォン

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 ぱたぱたとしている。何かが多く進んだわけではないけれど、七時半から九時までの作業は行った。
 どうにも良い曲と思えるような代物ではない。とりあえず「微生物の合唱」なんてタイトルをつけておそらくこれはパソコンの奥に埋もれるんだろうなという気配がある。
 しかしまあ、強引に油を刺して、車輪を回しだしたおかげか、ピアノもギターもとりあえずは音を部屋に反響させだしたのでまあよしとしたい。
 明確にこういった曲が書きたいというものが先日まであったのに、今はなくなって非常に灰色に近いイメージで。どうしたもんかと思っている。
 
 十時配信に合わせて、友人とLINEでチャットしながらバチェロレッテ2を見た。高尚な作品ではないけれど、最後の薔薇を受け取るシーンでは「うおーー」「どうなるどうなる」と二人でコメントを打ち合った。
 サッカーとか野球とかで熱くなる気持ちってもしかしてこういうものなのもしれない。推しを決めて感情移入して、勝利と敗北を味わう。
 俺はスポーツが苦手だから、ああいったものと距離をおっていたけれどもしかしたら楽しいものなのかもしれないと今更に思った。あまりない経験だった。

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 早朝、出社中。バス停でスマートフォンを拾った。近くにいた人にあなたのですか?とたずねても頭を横に振る。

 しかたねえ、とりあえず交番にでも届けるか、とスマホをもって歩く。スマホケースにはPASMOやクレジットカードが入っていて。あーこれは困るだろうなと交番に届けた。一日一善と思った。

 スマホを届けると警察官に「あなたにはお礼を受け取る権利がありますが、どうしますか?」と尋ねられた。ここでイランイラン!と思えたら僕はよっぽどか出来た人間になるのだけれど「あ、ちょっとほしい!」という欲望が頭をもたげてしまった。

 例えば目の前の誰かがスマートフォンを落として、それを拾ってあげて手渡すならそんな瞬間には相手からお返しなんて期待しないのだけれど、警察という場所で「あなたにはお礼金、落とし物の五~十パーセントの価値のものを受け取る権利がある」なんて声をかけられると、あれ、もしかして俺ってこれを放棄したら損したことになる?なんて狭量な考えを抱いてしまった。
 結局お礼の権利を放棄します、に丸をしてすたこらと職場に向かったのだけれど、これはどうした事だろうと再度自分に問いかける機会になった。

 単純に知らない誰かの力になりたいと思った。これはほんと。
 知らない誰かからお礼を受け取りたいと思った。まあ、ありがとうって言われたいのかもしれない。
 警察という公共のルールで権利を与えられたとたんに、自分の善意が何故見返りを求めるものに変容したんだろうか。
 うーん。ただ僕は例えばキリスト教のように無償の愛なんてものを抱けるほど多きな人間ではない。俺が誰かの幸せを祈るときは、やっぱり時間を経過した友人、知人、家族、僕の曲を聴いてくれた人、である。

 見知らぬ誰かにまでそれが及んでいないのかもしれないと考える。正確には及んでいたけれど、権利があると言われてしまって、なにかもらえるならもらえたらうれしいなァなんて思ってしまった自分がいる。ちいせえ。

 自分の心の流れとか、どうしてだろうとか、再度信条のルールを洗い出すよい機会になった。そして今度拾ったときは、「他人だし、今度は拾ったらお礼くらいもらっとくか!」くらいの気持ちになった。まだなかなか立派な人間にはなれないな。
 でもとりあえず、あのスマートフォンが無事に持ち主に届けられたらいい。困っていて、それがよかったとその人が安心したらいい。
 未熟だなと思った。

質問箱「YOUTUBEで最近ハマっている動画ありますか?」

 量子力学の動画にハマっています。自分が知覚しなければ、量子は姿を現さない。今生きている世界はどこかで作られた仮想現実。そんな新たな知見をくれて楽しいです。

質問箱「想い出の場所はどこですか?」

 どこだろう。昔住んでいた家とかいくとえもみもえもえもです。えもやまえもみ。

 いつも質問ありがとうございます。助かってます。
 また明日。