親ガチャとクルトン

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 親ガチャって言葉が流行ってるみたいだけど、そもそもあなたの親からしかあなたは生まれないのだから同じ筐体から出ているみたいな場合でのみ不平等感はあるけれど、まるで自分は外れ当たりとか考える事自体が不毛だと思うんです。

 まあソシャゲとオンラインの普及によって生まれた新しい言葉で誰かの反感や話題にしやすいからこそ広まっている言葉に対して、どうこう言うのも違うんでしょうか。
 それに対してコメントを出す著名人も、評論家も。それに釣られて怒る人も、怒る人を吊り上げようとするネット記事も、なんだか搾取の場面が非常に見えやすいので気分はよくないと思うばかりです。
 まあ、書く話題ないからこういった事をぱっとみた記事で取り上げて書いている自分も同じです。

 みんな暇でしょうがないのか。誰かの感情の機微のほうが、小難しい政治や技術よりも面白いというのが生物として正しいリアクションなんだろうな、なんて諦観しております。ほげえ。

 脱線するけど、攻殻機動隊みたいなみんながオンラインで繋がっている世界みたいなのってサイバーパンク的に格好いいし、そのグラフィック的なものに目線はいく。

 そしてその最新鋭の未来に対してきらきらした目線を向けがちだと思うんですけど、結局すべての人が等しく賢くなっていくのって、まずはヤフーコメントとかニコニコのコメントとかYouTubeのコメント欄を見たら分かると思うんですけど、ああいう地獄絵図がごった煮になっていく姿であって美しいものとはまたちょっと違うのかもななんて、親ガチャからは飛躍しすぎですね。

 あとサマーウォーズみたいな電脳空間みたいなのが出来たとしても案外みんな個別の鍵の部屋とかに籠ってどうせ、あの兎のアバターのヤツがうざいとか。あの狸のやつ空気読めてないとか、せっかく電脳世界になったって結局は人間らしく誰かを卑下して、愚痴って、人はどこまでも人なんだって所に落ち着くと思います。
 身も蓋もねえ!

 つまりまあ、なんだ。
 悲観して、親にこうなってほしいと投げかけたい気持ちに対して。
 わざわざ他の親は当たりだとか外れとか。スラングで誤魔化して表現するんじゃないほうが良いって僕は思いました。
 案外時事ネタも考えようによっては、文章が書けるけれど己の無知を露呈するみたいで恥ずかしくなる。

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 体調が相変わらず悪くて、月曜日は祝日なのに起きていた時間は五時間くらいで、あとはずっと布団被ってげほげほと咳をしながら寝ていました。
 なあんもできねえ。とりあえず月曜日はお酒を飲まなかったので禁酒一日目です。
 
質問箱「自分の好きな所あげるなら何処ですか?」

 色々嘆いてはいても、最終的には全然諦めない所が好きです。無邪気さとシニカルさの混じり具合が結構好きです。頭が悪いところがあまり好きじゃありません。

質問箱「コンポタ派ですか?コンソメ派ですか?」

 コンポタ派です。
 幼い頃はココスのコーンポタージュが大好きで必ず頼んでいました。
 スープの上に浮いているクルトンを愛していました。クルトン!

 また明日。