電子書籍じゃなく紙の本にする理由

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 通勤電車。朝日がドラマチックに影を落としながらも、入り込んで車両に入り込んでいる。
朝五時半。周りを見渡すとほとんどが男性。還暦過ぎと思われる人が多い。もしくは同い年くらいに見えるが明らかに顔が疲れているか、眠気に耐え切れずに壁にもたれて眠っている。

 文庫本を片手に、黙々と読む。しばらくはずっと電子書籍ばかりだったけれど、結局紙のほうが好きだと気付いた。
 良い悪いとか、邪魔とか、効率とか関係がない。なんだか風情がある。
 特に小説は紙じゃないと駄目だと気付けた。BGMが鳴っていない小説を読むにあたって、紙を捲る感じとか。読みながら人差し指で文章を追う感じとか。
 フリックして拡大して、バックライトを気にするのが、何か場違い感が大きくなってしまった。

 例えば、古い小説はきっとその時代に思いを馳せたいのだから、文明の利器で読むよりも、古書
みたいな解れた陽に焼けた本を目を細めて追う方が、きっと楽しいんじゃないだろうか。
 自分は音楽を作る人間なのだから。
 気持ちや雰囲気や、風情や不確かな何かを追っかけるのだから。
 今更ながら不自由みたいなものを好んでみようと思えるようになった。
 一度効率を重視したから、考えられた事だから大事にしたいと思っている。

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 質問箱「スマホでゲームばっかりしちゃってやめられません。どうしたらいいですか」 

 まず馬鹿みたいな俺のスマホの遍歴を聴いてください。

 さんざんに僕もレベリングをしてきました。最初は「パズドラ」トータル課金金額は恐らく十万以上。
 1もスタミナを漏らさないようにゴルドラダンジョン、メタドラダンジョンを回り、数百のモンスターを育成。覚醒。+297の作成。
 でも、これが一番楽しかったアプリの記憶です。友達と煽りあいながらフェスで3000円のガチャをあたりが出るまで、血が出そうな気持で回しあうのも楽しかった。ニコニコの公式生放送で、マックス村井のダンジョンのノーコンチャレンジをみんなで見るのも楽しかった。
 あまり後悔していません。それはなんかくだらないながらに熱かったし思い出になってるから。

 こっからはあんまり良くないやつ。そのパズドラがやたら楽しかったからか、もはや名前も憶えていないようなレベリングゲーや色んなゲームをいくつもやりました。
「クラッシュフィーバー」「ポコポコ」「シノアリス」「星ドラ」「FGO」「アークナイツ」「ファイヤーエムブレムヒーローズ」「グラブル」「マギアレコード」「スクフェス」「どうもりポケットキャンプ」「ぷよクエ」「アナザーエデン」「このすばファンタスティックデイズ」
「ディスティニーチャイルド」「ポコロンダンジョンズ」
 セルランと睨めっこして書いてみました。ここらへんはある程度1キャラはレベルマにしてるレベルでやりました。

 湯水のように時間を吸い取られました。
 我ながらやりすぎ!これで、どうしたらいいですか?の質問に返すってもろに沼に沈んだ人間が何を言うんだって感じです。

 FGOとマギアレコードはやってよかったなって思ってますけど、それ以外全部いらなかったんじゃね?と思っています。何故かスマホゲーのストーリーって売り上げの割に異様に出来が悪いです。
 それはきっと結末みたいなものが用意されていないからかもしれません。つづけなきゃあかんからね。

 そんで、やりたい!っていうより「スタミナ」とか「ガチャ」っていうなんか人間の焦燥感とか、本質みたいなものを刺激させられてます。

 なんかたくさん時間を使うのに、結局未来から過去を再度見つめて、俺の人生にいらなかったなんて思った。
 そういう視線があれば、まずはちょっと離れられるんじゃないかと思います。
 いまでも据え置きのゲームもたくさんやってるし。似たような、だけど良く出来たライトノベルも読んでいます。
 そっちのほうが楽しいし、やってよかった、読んでよかったって振り返って思えるのでおすすめ!
 
 まーでも何がいいたいかっていうと、俺もまあ似たようなもんなんで。
 ほんと!スマホゲーってこわいね!というどうしようもない話でした。
 あーでもまたやりたいなー!こりない!

 また明日。