夏の日、残像

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「これくらい知っていて当然でしょう、なので専門用語を鬼のように連打します」そのような哲学の本を読んだ事がある。単語くらいなら検索をかければ済むのだが、おそらくは哲学者の背景、歴史なども知らない人にはなんのこっちゃの文字の羅列で、数ページで挫折。

 しかし、そういったニーチェだったりカントなり、小難しい本をさらりと読める人間になってみたい。心の在り方を定義付けた事柄を知ってみたい。でも読めない。ああいったものはどうしてこう高さの加減を知らずに立ち昇っていってしまうのだろうか。高すぎ。そこはもう宇宙ですよね?

 

 だからと言って初心者哲学入門のようなものを読んだことはあるが、それくらい読んだところで、そういった小難しい本は読めない。どのような道筋をたどれば言葉が理解できるようになるのかはわからない。

 

 それでも。多少は大人になって思う事。映画監督や、作曲家のインタビューが好きでエッセイ本やドキュメンタリーを見るのだけれど、過去よりは自分の中で想像の範囲が広がった。

 色々な人との出会いもあれば、小説でも伝記でも、それらが背景を想像させるようになった。シロバコを見ればアニメ制作の裏側を多少は想定できるようになり、バクマンを見れば漫画家の事情が。エンタメ作品からでも入口があるのはありがたい事だ。脚色は大きいので、それらをうのみにして大声を出したりをしてはもちろんいけないけれど、裏側をちょっとだけ分かっていると多面的に見られるのでそれはきっと成長につながると思う。

 自分であれば実際に音楽を作っているので、バンドマンなり作曲家の悩みなどの言っていることはそういったものを通った事がない人より解像度が高く見えているはず。

 

 時間を過ごしていくほど、知識を積むほど、狭い世界で生きるほど。自分の言葉も誰かにとっての宇宙人になっていく。自分は宇宙人としゃべりたいから、宇宙語を少しずついろんなところで掻い摘んで話せるようになりたい。そして僕の宇宙の事が分かって欲しいので、相手に伝わる言葉を選んでいきたいと思う。

 また明後日。明日はFANBOX。ブログがんばれていると思う。