歯車にもふもふを差し込む。

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 肌寒い季節にスイッチのオフを押したようにぱちっと変わった。今日は通勤の歩く道を変えてみた。違う景色は新鮮だった。

 知らんビルと知らん自販機。そんなもんだけど。
生活の中でちょっとだけ違う事をやっていかないとやってられない。

 

 同じ毎日を過ごしながらブログを書いていると、どんどん自分から言葉が抜け落ちていく感覚がある。

 言える言葉が無くなっていくんだ。同じ言葉を発して、同じポーズをして、同じちょっとの悲しいもんと嬉しいものを繰り返す。

 どんどんネジとか土台とかモップみたいになってく感じ。目の前の何かをやっつける部品になってく感じ。
『社会の歯車』とはよくいったもので、気づかないうちにそうなるっぽい。危険である。

 

 学校に通っていたころは、例えば新しい授業が常に僕の世界を広げていた。
 小学校、中学校、高校、大学と、三年四年で人間関係に新しい要素が加わって
 かき混ぜられることで目の前の世界は当然変わっていった。
 僕はテレビをもっていないので、情報を自分で拾わないと、強制的な新鮮も入って来ない。

 

 人生をやらされるものになる。実際結構なってる。社会人。
羊の群れの中にいる。もふもふの毛皮の群。そのもふもふの一部。
そこにいればとりあえず温かいけれど、それは僕ではなく羊の群れのもふもふの一部だ。
 そこから一匹消えたとて、そりゃあ別に誰も気にしない。
俺の毛並みなんて知ってる人はほぼいない。でも外の世界は怖い。

 だから出来る範囲で少しだけ、群れから距離を取る。

 

 もふもふではいられない。

 ちょっと尖ったもふもふになりたい。

 また明日。