こんにちはヨノです。6,7年おっかけてた「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」を読み終えました。人生で唯一アニメDVDを揃えるくらいには好きな作品でした。
最終かんの発売日に全巻揃えてたんですが、なんだかずっと読めなくて。それは終わってしまうのがさみしいとかよりも気持ちが入っていかないというのが正しくて。
Kindle paper whiteを買って生活にまた読書が生活に取り入れられて、すきっと読み終わることができました。良いお話だったナァ。
ラブコメではあるので、だれとくっつくとか、こうなってほしい!というのはあるのですが例えば物語にケチを付けるのは無粋だとは思っています。
あくまで作者さんの作った城みたいなものをのぞき見させてもらっている状態なので
この展開はありえない!とか、作者ありえん!とか。そういうのって、その世界を構築して物語を整合性をとりながら、そしてエンターテイメントとしても魅せよう!としてくれているのに、失礼かなと。
まあ、ある意味、その物語に没入して意見をしているところが、「視聴者の怒り」としてはもう神様に文句言ってるみたいで愛らしいなんても最近は思ったりするんですが
どっちやねんってな。ダブルスタンダード!
そういう怒りすら楽しみの一部なんだろうか。うーむ。
たくさん好きなシーンがあるんですが、一番好きなシーンは八幡の一人語りです。
「俺は優しい女の子が嫌いだ。ほんの一言挨拶を交わせば気になるし、メールが行き交えば心がざわつく。電話なんか掛かってきた日には着信履歴を見てつい頬が緩む。だが知っている、それが優しさだということを。俺に優しい人間は他の人にも優しくて、その事をつい忘れてしまいそうになる。真実は残酷だというのなら、きっと嘘は優しいのだろう。だから優しさは嘘だ。いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。訓練されたぼっちは二度も同じ手に引っ掛かったりしない。百戦錬磨の強者。負けることに関しては俺が最強。だからいつまでも、優しい女の子は嫌いだ。」
わかるぅ~。って感じで優しいって暴力で。それでも優しいって縋っちまうなあなんて。俺に優しい人は、他の人にも優しい。それはめっちゃ普段思ってる事で
確かアニメ3話くらいで、このセリフがあるんですが、これを聴かされたときあたりから
めっちゃはまっていった思い出です。
ずっと追いかけ続けた物語が終わるのは寂しい。
刊行し続けるものって平行線の別世界軸でそれが進んでいっていて、横眼でそれを
追い続けていたものが途切れてしまうことなので。
いや、格好よく言ってるだけで、これ伝わるか?
なんだろ。たまに飲み会や電話する遠方の友達がいて、そいつが死んじゃった感。
いや、なんか絶対会えない海外とかに(しかも連絡もとれない)行っちゃった感?
ねー。また明日。