のんのんびよれない。

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 住んだ町の話。何故か僕の人生は1994年から始まっている。単純に、西暦ってのを意識したのがその頃だったってだけだと思う。ちいさな食卓でちいさなテレビがあって左斜め前にはおばあちゃん。左にはお父さん。お誕生日席にぼく。右にはお母さん。右斜め前には姉が座っている。

 

 20年も前の事だけど、やっぱり目を閉じるとその光景は焼き付いている。富山の田舎。田舎には色々なレベルがあると思うけど、結構えげつめ。


 後ろは山。すぐに木々。森。目の前に道路を挟んで川。田舎だから家は大きい。二階建て。普通にやろうと思えば10人くらい泊まりにこれるくらい、広い。住んでいる家の隣に同じサイズくらいの納屋がある。
 近所のスーパーまで車で30分。駅は市内まで一時間に一本。
 普通に熊が出没する。夏は昼は蝉の大合唱、夜は隣接している田んぼのカエルの喚き声の大歓声。ひぐらしのなく頃にの雛見沢よりちょっとマシなくらい。

 

 冬は大雪。家に閉じ込められる。朝から雪かき。おばあちゃんは雪かきが好き。空から降ってくる雪を口を開けて食べた思い出。雪を見た母が「空を見上げたら自分がせりあがっていく感じがあるよ」と言われて試してみたら、感動した思い出。

 

 そんな田舎に住んでいました。

 僕が結構不幸だなって思っていたのは、外の世界からの情報がきちんとあったことだった。父は理系の人間だったのでWindows95から家にあったし、大き目のテレビもあった。きらきらしたものが家には届いて見えるけれど、ここからは届かない。田舎にいるのが嫌だった。

 スーパーファミコンが買ってもらえないから、友達の家でしか出来なかった。友達のお兄ちゃんがFF6とかやってるのを想像を膨らませてみていた。ジャンプのテレビ東京ではじまるアニメが見れなかった。

 

 田舎の人間関係はよく言えば親切。悪く言えばお節介。もっと悪く言えば勝手に介入してくる。


 ずっと「羨ましい」が焼き付いていた。ドライな東京に行ってみたかった。インターネットが始まったころも、ADSL回線。そんでやっとケーブル回線になった。光回線が高校くらいまで通らなかった。あれに抗う方法は今思ってもない。


 情報が閉ざされたうえで、入ってくるのはテレビからの閉じられた情報。大人はみんな富山での生き方しかほとんど知らない。

 あの時期に育てた鬱屈を音楽にしたと言えばきれいだけれど、それはがんばってよく見えるようにしただけで単なる妬み、そねみ。

 

 あれ、この話は何処に着地させたいんだっけ。たまにはこんな話でもいいか。過去の話は思い出すきっかけとして、これからも書きます。また明日。