ずれ

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 言葉が指針が発言が「気持ちが悪い」と思う事がある。

 それは自分が発言するときも、知らない誰かが発言する時も同様にある。気持ち悪いとは「ずれること」の場合が多い。
 船酔いなら三半規管が上下左右にかき回されて脳が混乱して気持ち悪くなる。今俺が書いてみたいのは、認識のずれから、眼鏡の度数の違いによって引き起こされるようなものの気持ち悪さである。

 例を出して、申し訳ないのだけれど乃木坂46で「制服のマネキン」で「恋をするのはいけないことか」という歌詞をプロデューサーの秋元康が書いていた。これを非常に気持ち悪く感じた。
 恋をさせない側が、恋をさせない人に、「恋をするのはいけないことか」と歌わせるのか?と思った。少し視点を遠くする。マーケティングや話題性、非常に上手い手ではあると思うけれど
曲の良し悪しはおいておいて、その瞬間は座りが悪く、気持ちが悪かった。
 しかし、あまりにも遠い人だったので、その人の明確な意図は見えないし、そこには事実だけが転がっていて、そこに気持ち悪くなくなるだけの理由を自分で付随する事を行って、強引に腑に落ちる所へ持っていった。

 自分の口から出る言葉も、定期的に自分に準拠しているのか、白と言っていたのに黒になっていないのか、よく考える。もしくは説明がそこに付けられたかを考える。ずれていないだろうか。気持ち悪くないだろか。自問自答する。

 以前一度「ボーカロイドには感謝している。自分の音楽がまだ続けられているのは、初音ミクとの出会いのおかげであった」との旨をtwitterに書いた事があった。けれど、そういったものを書ききったときにも、自分の本来の気持ちとして感謝しているというよりも、なんだか初音ミク一周年という企画というものに対してただ乗っかった謝辞のように感じて非常に自分に対して気持ちの悪いという感想を抱いた。
 その感情に嘘はない。しかし、その言葉を口にしようと思ったのは、そういった機会があったからでさらに言えば、こういった言葉によって誰かの心についでに届けばよいという下卑た感情が僅かながらに自分の中で過ってしまった場合はいつも、どこか座りが悪く、あんなこと言わなければよかったといつだって思い返す事になる。

 色々な場面でそういった「ずれ」を気持ち悪いといつも思う。なんなら言葉や行動を形成する材料に、矛盾や浅ましさみたいなものが含まれるのはそれはもう生きている上で仕方がないと思っている。

 誤解のないように書いておきたいけれど、この感情は敵意ではない。ついでにいえば、悪意でもないし、生きていれば当たり前に起きる事だと思っている。
 表側にも裏側にも思いを馳せてしまって勝手に起きている、言っちゃえば自分の脳内で勝手にカツンカツンと理由同士がぶつかってしまっている音程度のもんだとも思う。

 昨日も酒を飲んで原因のアルコールにふざけんなと言うのはおかしい。飲みすぎたのは自分の
せいである。でもアルコールがなければこんな事にはならなかった。犯人を探すことも、理由を求めることも無意味なのは知っているんだ。
 ただ気持ちわりーって言って俺は水を飲む。

 そういうあっちこっちに散らばった気持ちのよくわからない散文でしたって感じで今日は締めておく。わかりづれえ上に着地もせずに申し訳がない。

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質問箱「相棒って思える人って近くにいます?」

相棒なのかはわかりませんが、毎週飲んでる友人がいるおかげで、なんとか気持ちを吐き出せている感じはあります。
ただ相棒って言うと、やっぱり遊戯と闇遊戯程の人間関係の構築によって、呼び会えるわけですよ。俺は闇属性なので、おそらくは闇遊戯と仮定すると、友人は遊戯なわけですよ。
 てことは俺が、シルバーを巻くのを勧めるってことか。そして俺が実はエジプトの王になるってことで、そうはならないと思うので相棒とまでは呼べないと思います。はいはいエグゾディアエグゾディア。

質問箱「いつか会って語りたいのですが、いいですか?」

 いいですよ。ボーマスとかの打ち上げでもいいし、リアルに酒くらいなら誰とでも飲みます。
 何について話します?やっぱりKEY作品はクラナドよりもAIR、kanon、いや。やっぱりONE〜輝く季節へ〜が嗜好ですよね。こういう事書くから友達少ないんだよなァ。

 また明日。最近ほんとに、脊髄反射みたいにブログ書いてます。