気づくと変わっている。

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 気づくと変わっている。
 毎日似たような判子みたいなコピペみたいな
日常をつまんねぇななんて呟きながら、日めくりカレンダーをなんやかんや破いて、こなしている。
 なにせちょっとずつ変わる。いつの間にか埃は積もるし、雪が降れば地面は白くなるし、工事現場からは育つみたいにビルが生えていく。それを人はまあ自由な感想として、何故か相反するように「あっという間だった」「一瞬のようだった」というけれど、「いつの間にか」というし「気づかなかった」と評する。相対性理論とかだと人間の生きている感覚ってそれぞれっつっても流石に思う。俺は思う。本当は一瞬じゃなくて、まあ長いに決まってるって。

 職場もまあ代用の効くパーツかのように人員は切り替わっていっている。転職して三年ほど今の職場で働いているけれど、そのたびに一応は花は送られて、寄せ書きなどと心ばかりのAmazonギフトカードが送られる。そのたびに小さくお別れをして、明日からいねえんだなと振り返れば、あれ、気づくと変わっている。

 多分過去というものを連続するものではなくて、面として捉えているからそんな発言が飛び出すのだと思う。学校時代を思い返せばテキストアドベンチャーゲームのイベントシーンみたいに思い出が並んでいる。

 あ、流石にこの喩えは、分かりにくい。申し訳ない。なんなら、一枚のA4のペラ紙にべたべたと印象的な思い出のプリクラを貼ってあるみたいな。列挙されているから、振り返って見てみたときに、突然にそれがすべて手に入ったような印象になる。
 
 毎日はつまらなくて窮屈でやるせなくて叶わない事の連続であって、それを毎日心を上下させつつ左右させつつやりすごしていくけれど。それを思えばあまりにも長い日々だ。でも思い出を振り返るときはその一枚のペラ紙をぶんぶんと振り回す。ああ、すべては一瞬のようだったと言う。違う。一瞬なのは今だけだ。振り返った今に
全部を押し込んでいるからだ。

 とまあ、ぼやぼやと何が言いたいかと言うと、変えていっているという認識を持てたら
良いだなんて十月も終わる平日に車窓から川とか見ながら考えていました。

質問箱「こっそりコレクションしているものってありますか?」

 まったくないかもです。kindleの本のデータだけ増えて行ってるくらいだろうか。ゲームとかも終わったら即効売るようにしてますし。小さい頃はバインダーとかでカードとか集めて眺めるの好きだったし。なんならレトロゲームのチャンネルとかでスーファミやDSソフト並べてるの見るの好きなんですけどね。
 集めるものなんて、自分の曲がマイリストとかに並んでるくらいでいいです。

質問箱「運命なんてものはない!、、、よね?」

 なんなら地球が存在して、人間がいることが運命レベルの奇跡やなーこわくね?って思いますけど。案外俺らがシムシティやるみたいに神様的なやつが宇宙の外からみてるというレベルなら運命はあるんじゃないでしょうか。あとは所詮は生物って感じで。例えば僕らが蟻の巣のキットを買ったとして、そこでいちいち蟻一匹に運命なんて感じないように人間なんてそんなもんだと思います。まぁでもその蟻一匹レベルの人間としても
唯一の自分であるもんで、おみくじくらい引きますけどね。そんなレベルに思ってます。

 また明日。