たられば

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 禁酒四日目。土日でも変わらず早朝に目を覚ます。ノートに日記をぼそぼそと書く。このノート書いてるやつ馬鹿だなと思って、現在とノートの自分が分離しつつ、まだ剥がれ切れずにガムみたいに情念が伸びて自分と日記を繋いでいる感じがある。

 

 スタジオジブリ「コクリコ坂」を見るが、面白くないとは思わないけれど吸引力のようなものが無くて、途中で見るのを辞めてしまった。楽しい、と思わないのなら最後まで見なくてもいい。いくら上質なものであっても、結局はそんなものである。

 

 へんなの、と思った。

 

 もうプロの中のプロのジブリスタジオでも、監督が違えば最後まで見る価値を感じなくなる。コクリコ坂からは、宮崎悟郎(宮崎駿の息子)の作品だ。やっぱり宮崎駿のファンであるのであって、その例えば、周りのスタッフの技術力をそのまま宮崎悟郎と一緒に作っていても、当然なのだが別物であって、好きになれないもんはしょうがない。

 でもぐるっと意識を反転させると俺が宮崎悟郎だったらどうだろう。

 書いても書いても届かない。百二十パーセント自分の周りの技術力の問題ではない。じゃあ書き続ければ変わるんだろうか。だが、書き続けて変わらない人もたくさんいる。そもそも変わるなんて事があるんだろうか。途中でいきなり魅力的な作品を作れるようになんてなるんだろうか。

 

 つまんねえって一言で一蹴される作品の裏側の嗚咽みたいなもんを勝手に感じる。そして同情で最後まで見るものですらない。「好き」って感情は。「感動した!」ってアンテナは。結局の所、理由は後からやってくる。直観でみんな選んでいく。

 ちょっとだけ寂しい気持ちになりました。なんだかな。

 

 イラストの打ち合わせを繰り返したり、マスタリングを再度やり直したり、動画を一日中作ったり、ちょっぴり絵を描いたりして土曜日は過ぎ去った。ぱたぱたと四月も後半になった。はやいなあ。珈琲を淹れよう。

 

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質問箱「最近まとめ記事よみますか」

 2ちゃんのまとめは良く読みます。

 でも全員(スレッド内)の雰囲気に対して、違和感を覚えるようになりました。それは自分が特別とか言う気もないんだけれど。例えばそうだなあ。正論を捲し立てる事が正義だと思ってる事に違和感を感じる事は多い。

 例えば最近だと「車椅子ユーザーが駅員に乗車拒否された」みたいな記事がありました。そこで、「こいつはゴミとか」「普通に考えればわかる」とか。その物事云々に対してというより、外側から延々と石を投げ続けるような構図が凄く嫌になってしまうというか。

 本当に世の中を良くしたいなら、そんな人をぼこぼこに殴ったって変わらないのに。例えば駅にお金が行くように動くとか。ちょっと違うか。何だろう、正論を捲し立てたって「他人を変えるなんて絶対無駄」でしかないのに、無駄に何処に怒っているんだ?と思ってしまったり、その人物の背景って想像してみたら、何も言えないというか。

 

 例えば一日中頭痛だったら僕らは最高に機嫌が悪くなるんですよ。

 そんで、例えば障害があって一生不便に見舞われたら不機嫌になりませんか?そんでそのうち性格だってきっと歪んでいくんですよ。だから、なんだろう。えっと、猛烈な頭痛と腹痛に見舞われた時、部屋にある物を壊しまわったとしたら、それってその人のすべての責任なのか?って思ったりはします。

 言葉にするの難しい。いや、「勝手だな」とは思うんですけどね。そんなごちゃごちゃを考えています。

 まとめ記事読みます?からまとまってもいない言葉をバーッと書いてしまった。ごめん!

 

質問箱「褒め言葉のさいすせそ知ってます?」

 さいこう!至高!崇高…!センスいい!尊敬します!

 適当に書きました。ググります。 

「さ」 さすが
「し」 しらなかった!
「す」 すごーい!
「せ」 センス良いですね
「そ」 そうなんですか!

 はい。至高崇高は違うと思ってたよ。また明日。