崖の上の静かな暴動

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 昨日は祝日でした。六時ごろに目を覚まして、人参と大根と玉葱とほうれん草と卵と豚肉と白菜をひとつずつ、丁寧に切って鍋に乱雑に放り込んで煮込むだけで野菜スープを作った。

 窓を開くと線を引くみたいな雨が、さらさらと聞こえるか聞こえない程度の音を立てて落ちていた。
 洗濯もしてしまおうと、放っていたハンドタオルを搔き集めて、洗剤と芳香剤をぱぱっと入れてスタートボタンを押した。ごしゃんごしゃんという音を立てていた。
洗濯機の中では服もズボンも靴下も無関係に水にかき回されて大変なんだろうなあと思った。
 ごっしゃん。

 ぼんやりと社内で、課ごとの仕事の押し付け合いみたいなものに巻き込まれている事を思い出して嫌な気持ちになった。積極的に発言すれば、自主性という呪いをかけられて、責任のようなものを背負わさせられてしまう。受動的に放置すれば、仕事が増える。まあ、仕事量的には余裕があるし、とりあえず受けてしまおうと思いますと発言しておいて、出来るだけ何も言わないようにしておこうと思う。
 押し付け合いや綱引きには参加したくない。
 不毛だ。
 だからと言って、首を絞められるのはごめんだからぎりぎりの所で噛みつくような人でいなくてはいけない。
 安らかな暮らしには安らかでいるための防壁が必要だと思った。ウォールマリアがなければ巨人に食われてしまう。
 こうやって文字にして、分解して書くとなんだか自分の中で気持ちが落ちるのでブログやっていてよかったなあなんて思う。冗談も書ける。

 友人からdiscordが入る。「崖の上のポニョ」観終わったら一緒に作曲しようと連絡を返す。
「崖の上のポニョ」を見終わる。
 面白くなかったけれど、不可思議だった。
 あのシーンはどういうものだったんだろうと洗濯物を干しながら考えた。暗喩なのか比喩なのか作者の一人語りなのか。最終的に強欲な女の子が嵐で町を巻き込んでも恋に走る話として考えれば面白いけれど、なんだか純文学のオープンエンドを見た気分になった。
 面白くないけれど、引っ掛かりはあった。ドラマとしては別に二回見たくはないけれど、絵画としてはまた見てもいいかなと思った。へんてこだけど、魅力があった。太陽の塔みたいだとなんか思った。
 ポテチと塩辛のどっちがうまいかなんてわからんのだ。

 良かろうが悪かろうが、物を作っていると作らなきゃ次に行けないというケースがある。
 宮崎駿監督にとってあれがそういうものだったのかもしれない。
 藤原基央にとってのロストマンなのかもしれない。
 俺も評価されなくてもへんてこだって作ろうと思った。

 友人と曲を書く。「僕が君を嫌いな理由」という曲を書く。友人が強引やら親切やら色々救ってくれて進んでいる。
 編曲の引き出しの少なさにうんざりする。わりと偶然の産物のような作り方をしているせいだろう。
 携帯から二か月くらいで貯めていた言葉を引っ張り出してきて整列させる。
 上手に並んだり不格好だったりするが、それをタイトルやメロディで強引に同じ場所に敷き詰める。
 一番俺らしい作り方で、助けられながらスランプから引っ張り上げてもらっている。
 これがいやだは持ちながらも、なんでもかんでも試していこうと思う。

質問箱「耳掃除は綿棒?耳かき?」

 綿棒です。耳かき使った事ないなあ。
 多分質問書いてくれた時に耳掃除してたんだろうなあ、とほへーと思いました。

質問箱「ネットとリアルで態度が全然違うって言われるんですけどどうしたらいいと思いますか」

 多分リアルで後で会ったことによって、ちょっと寂しい気持ちになったのかなあ。
 リアルからネットに行って、態度が心に近すぎて違うと思われたのかなあ。
 個人的にはだいたいインターネットのほうが心に近いと思う。
 対面で喋らなくてよいし、Twitterのツイートだって途中で遮られずに自分のタイムラインという
お立ち台に立って喋れるから。
 うーん。
 最終的にその誰かに好意が伝わればいいからネットとリアルの態度が違っちゃう事はあるんですけど、
あなたを好意的に思っているという事を伝えられたらいいのかなあ。
 別にその態度が違うのは普通の事だと思うので、変えなくていいと思います。
 職場も家も習い事も、みんなちょっとずつキャラクター違うもんさね。

 また明日。