ハイボールの泡のように

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 土日の休みと月曜日の有給で三連休だった。土曜日は音楽を作ろうと試みたが何も浮かばず口から涎を垂らし、デスクトップパソコンの前で突っ伏して、もう何も生まれない無理です、勘弁してくださいと一体誰に言うのか分からない泣き言と呻き声をあげながらもCUBASEにどうしようもないMIDIノートを並べまくって、結局ぐしゃぐしゃにしてまるめてとんでもない剛速球でゴミ箱に投げ捨てた。こんなにも無駄な時間があるのかと世界を憎みながらも布団に逃げ込み明日こそは!と眉間に皺をこれでもかとよせながら眠った。

 

 日曜日は九時頃に目を覚ましてまたMIDIピアノをばしばしと叩く。お気に入りのサンプルを探す。アコギをじゃらじゃらとあてどもなく轢く。エレキギターの音色を探していたらなんか気付くとイントロが出きてAメロが出来て、Bメロがつながってサビが出来た。2023年の四月はこれで三曲目が出来た。実はいつ折れるのかと、どうせすぐにできなくなるだろうと思っていたのに、一応は自分で許す事ができる三曲目が出来たのは快挙である。

 

 最近は死のことばかり書いている。中心にあるのは死ではあるけれど、その周りの人の思うことや、教訓を書いているので死を見つめていながらもその様は色とりどりだ。死のことを書く癖にキラキラ。はいはい、また適当なことを書いている。しゃーないね。

 

 最近また太って来たのでダイエットを友人と始めようという話になった。見栄えは大事である。そもそも痩せたからといって、ろくな外見でもないけれどそれでもすこしでも会う人や喋る人の前でマシな人間であると擬態していたいもんである。人間は見た目が九割とよく言われている。十割なんだじゃないだろうか。だって見た目がダイヤモンドの人と、腐った茄子が目の前に現れて、「我思うゆえに我あり」とか言ってきたら、信じるのはダイヤモンドのほうだと思う。悲しい世界だ。でも与えられたカードでがんばるよスヌーピー

 

 おやすみなさい。