愛想笑いの唇

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 昨日は胸の真ん中あたりのいつもは犬の尻尾のように過敏に反応する感情みたいなものを敢えて両手でぎゅっと握り込んで、心を平坦にするように努めた。考えないようにすること、手を動かすこと、丁寧に生きる事に努めた。仕事を終えて、帰路の途中ではBURGERNUDSの曲ばかり聴いていた。タネリを聴いて、逆光を聴いて、ANALYZEを聴いて、エコーを聴いた。最近は過去に好きになったものをアルバムを捲るみたいにして、そうそうコレが好きだったと話しかけるみたいにして思い返している。そんで今に転嫁しようとしている。

 本もダンス・ダンス・ダンスを読んだり、暗い所で待ち合わせを読んだり、流しの下の骨を読んだ。新しい好きなものを見つけるのは沢山の山のようにある音楽や小説から、がさごそと自分の体に合ったものを見つけなくてはならないので困難だ。しかし過去にとても好きになって、少し距離を離していたものを再度触って振れると、それがどうして好きになったのかを再確認する。たまに、お前そんな事を言える力があったのかと驚く。あの頃がよかった、今はよくないなんて微塵も言うつもりはないけれど、やっぱり一度好きになったものはずっと好きだと思った。そんでそもそもがあまり好きなモノは増えてこなかったのだから、大事にしつつ、また探してみようと思っている。

 

 似たような弁当を食べて何も考えずに近くのスーパー銭湯に行って、サウナに入ってぼうと呆けた。帰宅して明日やることを手帳につらつらと書いた。少しだけ動画を作った。お酒も飲まずに横になって知らないソシャゲをダウンロードしながら眠った。足先が冷たかった。十一月だった。

 

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質問箱「勉強する本質的な意味ってなんなんでしょうね」

 知識を知ってる方が、他の生き物から逃げたり殺したりできるから、勉強すんじゃないですかね。そういう本質って意味じゃねえよって思うかもしれないですけれど。一層目か二層目って野生の生き物が何か知恵を付けるのって生き延びたいからですよね。犬だって人間さんにひどい事されないように叩かれたりしながら御手を覚えたり、噛まず吠えなくなるから。だから生存戦略ー!だと思ってました。

 頭があまり良くないので、本当はもっとあるのかもしれません。あとは知識欲くらいなんでしょうか。物事の根底の性質。本来の姿。存在するものの本姓をなすもの。うーん。あとは物事を捉える際のたくさんの目線を覚える事とか。例えば秋田県って名前だけ知ってるだけと。秋田県は雪ふるよなとか、いぶりがっことか、米が上手いとかそういうのを覚えていくのは勉強で、そうすると秋田県がいろんな色やアイコンをくっつけ出して、それを捉えられるようになる。

 多分。

 

質問箱「人とどうやったら話せばいいですか僕は人見知りです」

 僕も、「人見知り」って高校とか大学の頃は言ってました。今はそんなに思わなくなりました。それで、人見知りはただ怖いだけだった気がします。一番大事なのは勇気と自信だとは思います。コミュニケーション以前に自分が話なんかしていいんだろうかと思ってました。自信があるやつは人見知りはいない。勇気があるやつもいない。

 なので、筋トレだ。筋トレは世界を変える。いや、冗談じゃなくてわりと本当に。あとはオサレしたり、自己啓発とか歌とかで強引に自分を元気に出来る手段を増やしていくとか。そいだら自信ちょっとずつ付いたら、人と喋れると思います。

 僕らみたいな人間は他人様よりよっぽどか弱くて、情けなくて、なんも出来なくて、しょうもないスタートラインにいるわけですが、まあ兎と亀なら亀なりに亀のレースを楽しんでちょっとずつ一緒に学んでいけたら嬉しいと結構本気で思います。