栞の砕け

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 月曜日。冷戦状態というか人間関係崩壊状態の地獄のような空気をなんとかかんとか交わして帰宅。一応は人事的な対応が取られそうで、それをただただ嵐が過ぎるのを小さな木にしがみ付いて待っております。はやく、良い天気になってほしい。人間にはできない事が多すぎる。

 

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 十日で一曲書こうなんてまた大げさな目標を掲げている。つまり一か月で三曲。一応は四月になって一曲を仕上げられたので調子に乗っている。

 そんで、新しい曲のイントロをなんとか作って、ひたすら触っているがいまのところ光明は見えない。ただ自分に出来る事なんてこれくらいしかねえよなあ、なんてもう何前回目の決意みたいなもんを振り絞ってとりあえずギターを弾いて、なんか言えることないかと、なんか感情が振るわんもんかと毎日を生きております。ストックが二曲はあるので四月五月は月末に新曲を出していきますし、なんなら一年くらい完走してやりてえと願っていますが、去年のように床に伏してしまったらそれはそれで終わりだけど。それでもせっかくなら大言壮語も吐いてやろうなんてバトルクライでも言ってたんで。

 

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 また有名な作曲家がこの世を去ったり、知っている邦楽バンドの方が去ったり、年齢を重ねるごとに徐々に死ってもんは自分に身近になってきている。図書館で「死ぬ瞬間の5つの後悔」って本を借りてきて、職場の休憩時間に読んでいる。まあ死ぬなんて当たり前である。全員に等しく一回は来るんだから、こんなに普通な事はないのに、みんなで一生懸命みないようにしている。その目を伏せる事のメリットもデメリットもある。自分の親族も数人亡くなっているが、未だにようわからんという気持ちもある。なんだかリアリティがないんだ。

 祖母は亡くなっている。でも、実家の扉をあければおばあちゃんが居間のテレビで相撲を見ている気もする。それくらいだ。郷愁はあれど、なんかもう会えないけど、好きだったなあみたいに、気持ちが固定化していっている。これが死ですか?わかりません。わからんままでまあええかと、じゃあなんの話だよってつっこみはなしで。

 考えようとすることに意味があるじゃんと。

 

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