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 学生時代の同級生の夢をみた。一緒に路上で歌を歌っていた奴だった。自分の音楽の最初の成功体験は金魚の糞だった事を思い出した。路上ライブを友達と一緒に行ったときあっさりと何人もの人が足を止めてくれて、音楽を聴いてくれた。当時はゆずとかを歌っていた。歌を歌うとこんな簡単に誰かと繋がれるのかと思ったが、それは単純に一緒に歌ってくれた奴が上手で容姿が整っている友人だったからだった。

 あそこで自分もなにかそこに起因していると勘違いしたところが音楽の間違った成功体験だったと思う。自分が一人で歌うようになると物凄い音痴で、凡庸な小柄な人間だった。当然人は立ち止まらず、六時間とかでかい声を出して、そして歌が下手過ぎる事も気付けないまま。努力とすらもよべない只の時間の浪費をし続けた。数人の人と路上で出会えた事が唯一の救いではあったけれど、ただただ自分は才能が無く、価値のない人間だという事を思い知った学生時代だった。そこから何故か曲を書き始めた。美術は当時から5だったからそういった成功体験を絵で獲得していたら自分は絵描きを志したのかもしれない。小学校のころは漫画を描いていたし。

 無才能なのに続けて。まったくもって自分らしい滑稽な滑り出しである。それでも継続は力なり、水滴石を穿つは正しく。一応は商業でなんどか仕事が出来るほどにはなれたが、どう考えても初期値が低すぎる影響はいつまでも自分の音感の無さで自分を苦しめ続けている。

 

 成功体験。誰かに認めてもらいたいというのが音楽の初期衝動だった。もてたいとか良く聞くけれど、そんなたいそうなものではなかった。自分が何か誰かと違う事を行っていたら、せめて同年代の人間が自分を認めてくれるんじゃないかと思っていた。結局自分のある程度の曲が書けるようになったのはニ十歳を超えてVOCALOIDで書くようになってからだった。正しい努力や勉強方法を身に着けていく事は難しい。正しい先生はそう簡単には見つからない。

 路上ライブの頃の相方はすぐに音楽を辞めてしまった。彼が歌えばすぐに人が足を止めた。そしてそれが当たり前だったのだろう。僕が欲しくてほしくてしかたないものは彼にとっては蛇口をひねれば出てくるただの水道水と同義のものだったのだろう。苦労して、泣いて、どうしようもない徒労を繰り返したからこそ、自分は誰かが音楽を聴いてくれた時に泣くくらい嬉しくなった。

 人生は不平等だけれど、固執と偏執が自分を育てたんだろうなと思うが、まあそれでも彼より幸福だとか、同じようにみんな大変だとか言いたいわけはない。なんだか、そんな事を思い出した。

 また火曜日。