昔やっていた「時計兎」ってバンドの話

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 大学生のころ、時計兎というバンドをやっていた。はじめてやったオリジナルのバンド。まったくもってお客さんなど付かずに1年ちょっとの活動で幕を下ろした。たしか大学2年から3年にかけてやっていた気がする。

 

 作った曲は全部で10曲に満たない。「凪」「雫」「PHILOSOPHY」「くじら」「蛍火」「放課後の青」「crow」「piano」「セピア」それと数曲あった気がする。

 何も作曲についてわかっていなかったし、作曲について教えてくれる人もいなかったので手探りで好きなアーティストのコード進行をもらってきたり、せまい学校のスタジオでみんなで音を合わせてメロディを出したりした。

 

 俺がどうしてもオリジナルがやりたい!といって組んだバンドだったので、その当時のメンバーは引きずるような活動だったかなと後悔もある。
 楽しいとは思ってくれていたんだろうか。

 

 個人としてはまったく才能が皆無だと思っていたので、ドラムのやつがメロディを
褒めてくれたり、聞いてくれていた後輩の女の子が認めてくれたりして人生でだれかに
容認された記憶がない僕は、それだけでおなかがいっぱいなくらいに嬉しかった。

 

 自信があった「蛍火」「放課後の青」「piano」はボーカロイドでもリメイクし直してたくさんの人が聴いてくれた。あの時の懸命は嘘じゃなかったのだと思った。
 いつだって、鳴っている場所さえ違えば結果も違ってくるのかななんて、色々と考えたりもした。


 同時に当時のメンバーの考えてくれたアレンジとかも入っていたのに、自分の名前と
して出して罪悪感もあった。もちろん率先していたし、8割がたは自分が色をつけた
自負はある。それでもその3曲には何処かごめんって気持ちと、ありがとうという気持ちがじわじわと残り続けている。もはやそれも随分と過去になったけれど。

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 たしかmixiでアカウントを作って、足跡を残しまくったり。バンドサイトみたいなのを利用して、宣伝をがんばった。結果は出なかった。
 歌はたくさん歌ったけれど、おそらくは音程の感覚器官が壊れ気味なので、今でもそんなに上手になれていない。結果は出なかった。
 ずっと空を続けてる。誰かにとって自分の創作物が有益になる可能性など見いだせない。バンド仲間にもっとやってくれとやり方もわからないくせに言う。
 コミュ力もないから友達すらライブに呼べない。

 なんだったんだろう。それでもめらめら燃えていられた。
 知らないって本当に強い。ほかになにもできないから時間を投下できる。

 

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 会心の一曲が出来た!といって蛍火の頭のフレーズをバンドメンバーにアコギで
聴かせた。「ほんのちいさな~」と地下の食堂で歌った。
 ひとりでめっちゃ感動してたけど、バンドメンバーはそうでもないリアクションだった。あの時はさみしかったな。良いってなんなんだろうな。
 今でもよくわかりません。

 

 あ。1コーラス曲が出来たので、1週間禁酒を回避しました。酔っ払いの歌です。

 ちょっとずつ、未完成の状態から動画を公開していくという試みをYouTubeのチャンネルで出していくってのをやってみようか迷っています。なんか一緒に作ってくみたいな感じで楽しかったりするのかな。どうだろう。