CORE

 人生で何度目になるかわからないTwitter(X)のアプリを削除して、二週間ほど経過した。心がざわざわして喧しい時はSNSから離れる。そんでただ毎日の繰り返しにひたすらに流される。起きてシャワーを浴びて通勤して働いて本を読んでごはんを食べてお酒を飲んでゲームをして眠る。風が止むのを待つのはしんどい。止まない雨はないけど、降らない雨もない。なんとかかんとか持ち直してきて、丁寧に手帳にやりたい事や予定を書き込む。自分が嬉しくなれる事にアンテナを貼る。ローグライクのゲームやハックアンドスラッシュのゲームに詳しくなった。好きな曲だけを聴く。GRAPEVINEばかりやたりと聴いていた。

 体のケアくらいやろうと耳鼻科で鼻の奥にレーザーを照射して、粘膜を焼き払った。鼻の奥にはかさぶたが出来た。呼吸が苦しかった。整骨院に通って肩こりを改善してもらうためにマッサージやら針治療やら超音波やらやってもらう。術後に肩を回すと自分はこんなにも肩こりだったのかと驚いたが、あまりにも凝り固まっているので三十分ほどで元に戻った。健康は土台ですとよく言うが、つまりそれがないとなりたたないという意味だけれどもっと強い言葉を使わないとないがしろにしてしまうと思う。藤原基央も言っていました。風邪を引いたりすると気付くんだ今まで呼吸をしていたことと。当たり前のことは当たり前でなくなる前に大切さに気付きたいものである。それは無理ってもんだぜ。だって当たり前の事は適当に扱ってしまうのだから。生きるのは困難だ。

 

 短いけれどブログをちゃんと書く事ができた。継続はローマは水滴石を千里の道も。長く続けたからって続いてるだけかもな。続きってのは重要なんだよ、俺にとっちゃあな!また明日。

無題

 三連休。曲を書こうと思っていた。思ってはいたのだけれど、何故か俺を含めて友人四人で地下世界を冒険していた。Core KeeperというPCゲームを延々とプレイした。農業をして、採掘をして、釣りをして、鉱物にドリルを設置し、建築をした。へらへらと笑っていたら、時間が溶けた。もう久しぶりに男友達四人で地下世界に旅行に来たという事にした。1800円で行って戻って来た。同じバイオームを旅し、同じ音楽(BGM)を聴いた。共通の目標だったボスもたおした。これはもう旅だったから、作曲できなくても仕様がないよと、もう一人の俺が言った。全くもって阿呆だ。いつまでたっても馬鹿は治らない。馬鹿に付ける薬をコロナワクチンの前に発明できなかった人類さんサイドにも問題があるかもしれない。無い。

 しかしまあとっても面白いゲームだった。マインクラフトと同ジャンルのサンドボックスアドベンチャー。街などをクリエイトする要素もあるが、どちらかというとアクションRPG要素が強めのゲームだった。あえて、ボス攻略等は調べないで遊んだ。WIKIを見ないゲームを驚きに満ちていたし、友人たちで知恵を出し合って敵を攻略するのは本当に面白かった。やはりなんでも答えが分かってしまう世界っつーのはよくねえなと改めて思う。ちょっと困ったら全部教えてもらえるんだ。グーグル先生、俺、あなたに本当に大切な事を伝えられる気がします。はいはい。

 

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 しかしまあ連休が終わり、またコピペみたいな毎日が始まった。シャワーを浴びて、電車に揺られて、文庫本を読んで、午前の詰まらない仕事をして、昼は眠気に襲われて、午後は早く帰りたいと念を唱えながら過ごす。Twitter(X)を開いても何も言える事がないから適当に写真を貼る。帰りの電車は追い越しをするモラルのない人間を睨む。次はなんの歌を書いたらいいかと考える。FANBOXを土日で休んでしまったなと罪悪感を覚える。スーパーで夕飯を買う。近所の公園でぶら下がって肩甲骨を伸ばす。帰宅して、ブログを書く。洗濯機を回す。洗顔をする。もやしを茹でて、カップ焼きそばに一緒に和える。どうしようもない毎日だけれど、なんとかかんとか一人で生きているのは偉い。まだ夏が去らないからエアコンが働いている。明日はFANBOXを書きます。

Perfect nervous

 定期的に茫漠とした虚無感に猛烈に襲われる。何も変わらないとか思う、意味も全部ないしなと思う、あらゆる全部が面白くないと思う。なかなかに尊大というか偉そうな書き方をしているけれど単純に何も手がつかなくなる。全部の動機が消滅する。

 口を開けて寝転んで何もできず、食事すら作らずウーバーイーツを注文し、しかし確実にうっすらと埃が積もるみたいに自分への嫌悪感だけが降り積もっていく。しかしやる気はない。元気もない。眠って眠って眠って転がってなにもしない。できない。

 しかし土曜日は友人が声を掛けてくれたおかげで、へらへらとそれっぽい話をして新しいゲームを一緒に遊んだおかげで鬱っぽさは治ったかと思われたが、日曜日はまた何もできなかった。延々とゲームプレイ動画をつけっぱなしにして、布団で寝がえりを打ち続けて、いつもの天井を眺めた。定期的に己の矮小さに嫌気がさしたり、その嫌気が刺している傲慢な現在の幸福な自分に更に辟易する。一般的な同年代と秤に並べ始めて自分が良いとか悪いとか考えても栓のない事をまた思い浮かべて、その無駄さに最初から気づいていてまた寝返りを打つ。幸福でも不幸でも裕福でも貧困でもないし。でもあまり希望がないから空腹がないからただぼけっとしている。作曲しろやと自分にまた言う。しかし何もない。寝ては起きて、起きたら一本酒を飲んでまた寝て、ここが地獄ですか?と思った。しかしまあ月曜になってなんとかシャワーを浴びて部屋を出て働く。機械的に動くとなんとか人間らしく戻る。身体をなんとかかんとか動かすとまともに社会の一員にカウント出来た気がした。なんとか持ち返していかなくてはならない。健全な思考は健康的な生活をしていないと生まれない。起きてシャワーを浴びて、散歩をして。誰かと少し喋って本を読んで、無理にでも笑って、陰鬱な気持ちはすぐに歩み寄ってきて何もさせなくさせる。
 そもそもが根暗なのだから、気を付けなくてはならない。おばけみたいなもんだ。違うか。違うな。健全な創作は感情の起伏の先にある。感情が動かん。好きもなけりゃ嫌いもありゃしねえ。なにやってんだとは思いつつも、ようやく文章くらいはこうやって書けるから回復気味だろ。また明日。

 

なにしてんの

 好きな作家さんのエッセイを読んだ際に、その人は漫画やアニメを見ないと書いていた。そこに素晴らしい作品がある事は理解しているつもりだけれど自分がそこにもう時間を割けないというような言い回しで締めくくっていた。時間は当然有限で、なりたい自分やありたい自分であるためには当然賭けていく時間を決めなくてはならない。その人がその人らしくあるためには接種する食べ物や運動時間が変われば姿形が変わるように、触れている知識も知恵も音楽も自分で選択していかなくちゃならないのだろうななんて、それを読んだときに「そりゃあそうなんだろうけれど、あまり意識はしていなかったな」と独りで納得した。誰かから選ばれるとか評価の軸の前に自分がなりたい自分になっていきたい。まずそこからなら、学ぶこと、心が動くこと、自分を作る偏見みたいなものを蓄えるためにちゃんと選ぶ事が大事なんだななんて改めて考えていた。あたりめえだろと言われても、そのあたりめえはよく忘れられるよなあと思う。

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 恐ろしく体調を崩している。またかよ、と自分でも思う。咳が止まらず、倦怠感があり、仕事だけをなんとかかんとかやっつけて帰り着くと布団に倒れこむぼんやりと目を覚ますと深夜にさしかかる時間で適当に冷蔵庫にあるものをおなかにいれて、創作が出来るわけもなく適当にマインクラフトを立ち上げてぼんやりと農作業をしたりダイヤモンドを集めたりしていた。裏では適当な動画を流しっぱなしにして、この時間に何か意味があんのかとか意味とか考えたら終わりというか、そもそも頭が何も回っていないから、死んだ目をしてピッケルで地面を掘る。病院では鼻の炎症がひどいから喉まで下りているみたいだからと薬を多めに処方された。三十分ほどゲームをしたあと再度布団に潜り込んで目を閉じると鼻の奥が腫れていて痛いので点鼻薬を刺す。恐ろしい孤独だが、孤独とも思わずに時間が何にもならずに溶ける。よくない。好いわけがない。そんな今日でした、また明日。

赤い花

 健康診断の結果が届いた。A3の用紙に書かれた自分の身体の情報は数字になって羅列されていた。人間の身体はそれぞれだなんていうけれど、それでも異常値が設けられていて、そしてそこに対しての自分がどの位置にいるかについて考えるとパソコンと似たように決まってるもんもあるんだな、なんてと思う。まあ結局部品みたいなもんである。
 せこせこと働き、地球のために熱を運ぶためにはある程度の健康が維持されていないとなんも出来ない訳でございます。とりあえずは気になる肝臓の数値も結構増えた飲酒量に相反して非常に健康そのもの。しかし咳が最近続いているのは間違いなく電子タバコの再開が関与している事もあり、「やめっか」とまた誰に言うまでもなくぼやいて、glowを部屋の見えないところに投げ込んでいるわけです。身体が動かなければ曲も書けない。頭痛があっても腹痛でもメロディは考えられない。土台が大事なんてどんな馬鹿も分かっている事をまた反芻するわけです。身体に悪い事は楽しいし気持ちがいいのが恐ろしいよね。

 

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 VCRGTAの切り抜きばかりを見ている。グランセフトオートというゲーム内。ロスサントスという街の中でストリーマーたちが十日間を過ごした。アメリカのロサンゼルスを模した街である人は警察官に、ギャングに、ネコカフェ店員に、タクシードライバーに、救急隊員に、ホットドック屋店員になっていた。ゲーム要素とメタバース要素が嚙み合いすぎている。どの配信者の視点を見ても面白い。まるでデュラララやブギーポップのような群像劇を見るような様相もある。この人が悪事を働いていたときに、ある片方では警察に通報がいって急いでそれを捕まえに行くという両方を見ると街ってえのはなんて面白いんだと思った。すごく新しいコンテンツに感じた。こんな風に多面的に見るってえのは街の視線をいくつも見れるみたいで、非常に目新しさを感じている。

 

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 あと少し不思議な感覚を覚えた点があった。
 ギャングに属したストリーマーの人達はNPCは気軽に車から引きずり出して盗難をしたり、コンビニで強盗を起こして、店員を撃ち殺していた。それを見て感じたのは本当に現実世界で犯罪をおかす人たちも、こういった形で自分と仲間以外はNPCのようなものだという認識だからできるのかなァなんて思った。当然NPCはゲーム内のしくみでしかないけれど、それは結局現実でも複雑か複雑じゃないか。共感できるかできないかの違いしかないんじゃないか。自分と相手をシビアに断絶できれば人間同士も同じく数字だし。街で出会う店員なんて二度と会いはしない機械みたいなもんだ。そんな人もいるんだろうななんて思った。「共感」ってのは一つの能力値であるはずだろう。

 明日はFANBOX。今日はスクワットをして、お掃除をしよう。 

プリケルマ

 火曜日。夏季休暇折り返し地点。現状は1曲完成。今新曲を二番の終わりまで打ち込んだ状態。なんとかフルコーラスを明日作りあげたい。3曲作るなんて意気込んでいたのだけれど、ほとんど無理だと思っていたが、できるかもしれない。過去最速の制作速度だ。会社に勤めてからこれだけの長期休暇を本気で予定をいれずに家から出ずに作曲にあてたことはなかったかもしれない。

 起きる。作曲する。シャワー。ごはん。これしかしない。作る。消す。壊す。メロを探る。たまにマイクラしたり、ゲームをする。そして仕事をしているときと違って音楽の事だけを考えているので、ブログの内容が思いつかない。今日なんて特に作曲しかしていない。嘘をついた、友達とバチェラーを見た。ネタバレは出来ないけれど、恋愛的な涙じゃなくて己の不甲斐なさのようなもので流す涙に胸を打たれた。

 短いけれどこの変で。続ける事が大事。

チェリー

 月曜日、陽のあかりと一緒に目を覚ます。いつもは憂鬱な月曜日だけれど連休中であれば心は羽根のように軽い。なんなら羽根が生えていると思う。飛べる気がします。でも、羽根はどう考えても仰向けで寝れないからいりません。こんばんは。

 夏季休暇が入ってからフルコーラスが一曲出来たので、ぱっぱと手を付けようと少し気に入っているコード進行を並べて、制作を始めると十二時前には一コーラスが出来た。ここから色付けで没にならないかが問われるけれどサビのメロディも良い感じなので順調に制作は進んでいる。全くもって予定が入っていないのでひたすらに作業をしている。四日間も過ぎたけれど家から出たのは散歩と買い出しくらいだ。言いたかった事がスマートフォンで多めに溜まっていたのでそれらをテキストソフトに並べて歌詞のようなていを作る。言葉が読んでくれたり、音楽がよんでくれたりしながら曲を組み立てる。良い調子。良いメロディを探すアンテナも三つくらい立っている。

 いつもこうならいいのにと思う。いつもこうであれば嬉しくもないんだろう。哲学的である。はいはいソクラテスソクラテス。

 

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 最近Vtuberやストリーマーも好意的に見れるようになった。バンドマンやアイドルとか多少裏側を知っているだけに、そういった表に立つ評価を集める人を穿った視線でみてしまう事が癖になっている。それに新しいもの(もはや新しいものではないけれど)自分にとって触れる事が新鮮なものは、そう簡単には認められても好意を持つまでには時間が必要になる気がする。しましまあふとしたきっかけで好きになれると世界はぱあと広がる。もちろん何処の場所にも苦手なものはあるけれど、やはり群を敬称した言葉を毛嫌いするのは良くない。どこにも苦手なものはあって、好きなものはある。何度も自分に思い続けた言葉だけれどきっかけがないと触れるタイミングが発生しないんだな。

 自分で楽しいものを探せる人にはなかなかなれない。色々縁ってやつをありがてえなと思いながら生きていきたい。また明日。

セイコウトウテイ

 一番好きな言葉は夏季休暇。早朝五時半ごろに身体を持ち上げる。十割の蕎麦を茹でて卵と葱と納豆を和えて食べる。珈琲を淹れてぼんやりする。今日から十日も出社しなくて良いだなんて、やはり神はいるのかもしれないと感じた。有神論をこれから提唱していく事にする。少し掃除をしてから早速DAWを立ち上げる。イントロからAまで作って、「どうにも」とごちた。気分転換のためにシャワーを浴びて、ごみ捨てをして少し散歩。近くの公園でぶら下がる。肩こりに良いらしい、肩甲骨を伸ばす。家に戻ってきてからまたイントロからAまで新規に打ち込んでみて、どうにも吸引力が足りないものをまた積み上げた。そうそううまくいかん苦しい。諦めてブログを書いている。書いては破いてを二か月ほど繰り返している。自分が最後まで書ききれるくらいのフレーズが出ない。自分が何回も聴けないのに誰かが何度も聴きたいものになんtねそらならない。がんばってもでない。ここが地獄ですか、やはり神はいるわけがない。昨日買ってみたGTA5というゲームを起動して遊ぶが、没入もできぬまま。しかしまあ、やはり好きな事をやって時間を過ごしているので一瞬で半日が過ぎ去る。時間の流れは不平等だと思った。まだ半日ある。あと二回はトライします。ぼけっとしてたらメロディとか降ってきてほしい。

風とともに

 十連休まであと四時間。時計を見るたびに胸が高鳴る。長く掘り進めた洞窟内で風の音を聞きつけ、あと僅かの採掘で陽の光を拝めると気づいた冒険家の気分だ。長い暗闇の生活の中でもはや目はそれに馴染んでしまっている。自由に放り出された時、僕は不安で仕方なくなるかもしれない。それでも長期休暇と書いて幸福と呼ぶ事を僕は差し支えない。そう今、俺の心はつぼみ。満開に花開くその瞬間を今かと待っている。よくもまあ、これだけ気持ちの悪い文章がすらすらと書けるものだと思う。しかし気にしない。だって十連休だ。いつもの五倍休めるのだから、気持ち悪くても良い。たくさん曲が書けたら良い。マインクラフトをしたりGTA5オンラインをやってみるのもいい。読みたかった小説をぼんやり読んでもいい。先日買った漫画版ナウシカの残りを読み切るのも簡単だ。外出の予定が何故か見当たらないのは友達が少ないからです。同情するなら金をくれ。

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 意欲的な事を書いてちょけてみたけれど、時間がたくさんあると逆に作曲が進まないという自己嫌悪に陥って寝耽る可能性がある。自分にいくつか架しておく。 毎日シャワーを浴びること。お散歩をすること。ストレッチをすること。お酒を飲みすぎないこと。仕事のように曲をこつこつと積むこと。落ち込んだら外を走ること。友達を頼ること。 ここらへんをルールにしながら十日間を有意義なものにしたい。自分の弱さを操るのは大変だ。人間は感情という象のたずなを引いているだけだ、みたいな話を思い出す。頼むよ象。お前は本当に長くて良い鼻をしているよ。味方にしていきたい限りだ。次は日曜日FANBOXで。

陽炎

 感情の熱がなければ、書こうと思っていた事も書けなくなる事はよくある。気分が乗らない、便利な言葉ではあるけれど。人間は論理よりも気持ちには嘘をつけないもんだと思う。おそらくは約束だったり、執念だったり、義務感だったり、習慣だったり、そういったいろんなもので、それぞれの人が熱を作って、とりあえずなんとかそういうものを作って色々な活動に取り組んでいるんだと思う。  


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会社の昼休みにブログを書くのも慣れてきた。手だけを動かすような仕事をするときに、ぼんやりと内容を考えている。今も会社のパソコンに打ち込んでから自分のスマートフォンにテキストを移動させて更新するようにした。ブログをはじめて書き始めたのはいつだったろうか、おそらくは中学生のころから書いていた気がする。あのブログはまだ生き残っていたりするんだろうかと、インターネットの宇宙に放り出されて今となっては情報の藻屑と化して誰も見ることもないし、腐る事も、化ける事もなく打ち捨てられているのだと思う。
それこそ黒歴史のような語彙力もなければ知識も知恵も信念もない馬鹿の日記。それは出来る限り消してきたつもりだけれど。消しきれない馬鹿な歴史は、いくらかあると思う。

 


 昔ボーカロイドも始める前から弾き語りを公開するようなサイトにへたくそな歌をアップロードしていたころがあった。それでも音楽活動を続けていたりするとTwitterのDMで「そんな頃から、ずっと聴いてました」なんてメッセージをもらったことがある。自分も誰かのサイトや曲、ブログ、動画を無言で見つめている。有名人じゃない人のツイッターをぼんやり見ている日もある。この人と話をしてみてえもんだなあ、でも声をかけても仲良くしゃべれるわけでもない。まず仲良くお喋りするまでに突破しなきゃいけないいくつかが多すぎる。なんとか文字数も稼げたのでこのへんで。また明日。 

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mugs

 昔からとてもよく眠る。正確には起きているのを拒否するように眠る。

 大学生のころ、単位を取り終わり、オリジナルバンドも解散し、サークルにたまに顔を出す事しか自分には生きる目的がなくなり半年ほど一日の三か月ほどを寝て過ごした事があった。こんなにも自分は何かをするのに能動的になるのが下手な人間だったのかと自認した期間だった。

 

 今も仕事から帰宅するとひたすら寝ている。アルコールを節酒すると一日中鼻の奥の粘膜が腫れ、まる一日の仕事が終えて帰宅するとへとへとになっている。夕飯を食べ終え、湯船に浸かったあとは明日の俺に作曲は任せ、早々に眠る。何をやっているんだと自己嫌悪に耽りながら眠り落ちる。

 

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 好奇心や欲望は生きる力だと思う。知識欲があれば、性欲があれば、食欲があれば、遊びに行きたいという欲求があれば。俺は延々と寝たりしない。なにもしたくない、それが他の欲求に勝てない。今はどちらかというと睡眠欲と、体調不良に生きる欲求が敗北しているという事になる。

 そしてその欲求を増やす事はなかなか困難で。何かにどっぷりと嵌っているときは夜更かしをしたりするので、それを追い求めるのが良いのだろうが。なかなかそうもいかない。

 こういうのがより加速するとうつ病になるのだと思う。なにせ外に出たところで自分には何か変えたりできない。絶望は簡単に出迎えてくれる。お布団を絶望と呼ぶのにはそこは優しすぎるし夢の中であれば初恋の人に会えたり、大きなライブを自分で演奏できる。現実よりもまどろんだアルコールやお酒に逃げてしまえるのも割合納得できるところも多い。

 脳から一気にドーパミンを出すボタンが自分の目の前に置かれたらどうだろう。健康を害さないでそれを押すと強制的に幸せになることができる。そうなってしまえばわざわざ何かを成そうとみんなできるのだろうか。強引なたとえだけれど、そういっただよな。こわいな。

 

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 明日から土日だ。達観したような薄暗い話を書いてはいるが俺は元気である。次はどんな曲を書こうと思う期待感が自分にはあるし、暗中模索も旅のだいご味だといえるくらいの大人っぽさは持っているつもりだ。明日はお休み。がんばるぞ。

家族の風景

 

 最近俺は自分の"身体"と会話するようになった。

 

 最近、アルコールを取ると体の調子が悪い。お酒に弱くなったのか、飲むと鼻炎が悪化して呼吸がしにくくなったのか。平日に友人と飲むと次の日がずっと呼吸が辛く、次の日の勤務時間は耐えられない気怠さと眠気が襲ってくる。

 

 おそるおそる自分の身体に、質問してみた。

「なんかさ、お前がいつもがんばってるのは知ってるんだけど。でも最近お前いつもと様子が違うみたいに感じるんだけど、何かあった?」

 そんな風に、相手の気持ちを慮って聞いたつもりだった。しかし身体をきっと目を細めると俺に向かって、こう言ってきた。

「あなたになんてもう付き合ってられない。離婚したい」

 

 決意を込めた言葉だった。続けざまに"身体"は口にする。

「あなた曲書くって言ってるのに口ばっかり。お酒ばかり飲んで、最近煙草習慣まで戻ってきてる。あんたの悪癖があんたに帰ってきてるだけなら良いんすけど、それを私が変わったなんて最低」

 

 俺は変わり果ててしまった、" 身体"の態度に驚き、そして俺は答えた。

「ええ。身体だって俺と一緒に『お酒飲むの楽しいね』って言ってくれてたじゃん。今になって俺だけ悪者なのかよ!」

 そこからは泥沼。近くにあったクッションを手に取り身体に投げつけた。身体はそれをさっと交わして俺の頬に平手打ちをした。二人の間には深い言葉が身動きがとれない沈黙が重く降りていた。

 長い間連れ添った俺たちはもう緑色の紙を役所に提出して、心と身体を別のものとして新しい存在になるしかないかもしれないと思った。いい加減にこの茶番もういいですか。ですよね。身体には気を付けていきたいと思っています。また明日。

夏の日、残像

「これくらい知っていて当然でしょう、なので専門用語を鬼のように連打します」そのような哲学の本を読んだ事がある。単語くらいなら検索をかければ済むのだが、おそらくは哲学者の背景、歴史なども知らない人にはなんのこっちゃの文字の羅列で、数ページで挫折。

 しかし、そういったニーチェだったりカントなり、小難しい本をさらりと読める人間になってみたい。心の在り方を定義付けた事柄を知ってみたい。でも読めない。ああいったものはどうしてこう高さの加減を知らずに立ち昇っていってしまうのだろうか。高すぎ。そこはもう宇宙ですよね?

 

 だからと言って初心者哲学入門のようなものを読んだことはあるが、それくらい読んだところで、そういった小難しい本は読めない。どのような道筋をたどれば言葉が理解できるようになるのかはわからない。

 

 それでも。多少は大人になって思う事。映画監督や、作曲家のインタビューが好きでエッセイ本やドキュメンタリーを見るのだけれど、過去よりは自分の中で想像の範囲が広がった。

 色々な人との出会いもあれば、小説でも伝記でも、それらが背景を想像させるようになった。シロバコを見ればアニメ制作の裏側を多少は想定できるようになり、バクマンを見れば漫画家の事情が。エンタメ作品からでも入口があるのはありがたい事だ。脚色は大きいので、それらをうのみにして大声を出したりをしてはもちろんいけないけれど、裏側をちょっとだけ分かっていると多面的に見られるのでそれはきっと成長につながると思う。

 自分であれば実際に音楽を作っているので、バンドマンなり作曲家の悩みなどの言っていることはそういったものを通った事がない人より解像度が高く見えているはず。

 

 時間を過ごしていくほど、知識を積むほど、狭い世界で生きるほど。自分の言葉も誰かにとっての宇宙人になっていく。自分は宇宙人としゃべりたいから、宇宙語を少しずついろんなところで掻い摘んで話せるようになりたい。そして僕の宇宙の事が分かって欲しいので、相手に伝わる言葉を選んでいきたいと思う。

 また明後日。明日はFANBOX。ブログがんばれていると思う。

 

 

 

 

空洞です

 週末はたいてい引きこもり、ああでもないこうでもないとデスクトップの前で正解というものの存在しない音の積み木を重ねている。ダンサブルと仮タイトルを付けたイントロからAメロまでの音源を作ったはいいが、どうにも曲が引っ張っていってくれないので、また次の新たなコード進行を並べて、また崩して、それを繰り返した。敗北。

 二十一時ほどからオンラインでヘリと雑談なり会議をする。だいたいの決め事が終わるころには朝日が昇っておりこんな時間までよくもまあ、と思いながら解散。マットレスを広げるのもおっくうとなり、なぜか板の間に倒れて眠った。

 

 日曜日は十二時前に目を覚ますと動画を作った。十六対九の画面内でちょこまかと枠、フォント、イラストを動かす。少しずれると格好悪くなる。そもそもこういう配置で格好悪いや格好いいを感じるというのは何故なんだろう。美的感覚というものは猫や犬は持っているんだろうか。人間の持つあらゆる機能は生命維持に必要なものだと思うんだけれど。ストレスや炎症ですら。でも綺麗とはなんだろう。そんな誰にもこたえてもらえない事を思いながら、ハイボールを飲みながら作業をし終える。いつの間にかずいぶんと吞んでしまっていたらしくまた、ばたり、とマットレスに倒れこむ。気づくと深夜だった。

 休日に定期的に、時間があって誰も止めないからといって延々と酒を煽るのを本当に辞めたいと思っているのだが定期的にやってしまう。恥ずかしすぎて恥だからこそ、ここに書いて、なんとか自制へのきっかけとしようとしている。

 大人になって安易に脳内幸福物質を増やせる手段をしってしまって、こういった何にも残らないが強引に幸福な時間を過ごす事が出来るようになったが、自分がもしも死ぬ日が来たとき、おそらくは後悔の念が襲ってくるとは思うので辞めたいと思っている。ホントダヨ。

 

 また明日。 

 

人間関係地獄絵図

 人間同士、見てきたものも本も経験も違うのだから、その人の「あたりまえ」も「常識」も必然的にずれていく事になる。だが、共同ですり合わせながら生きていかなくてはならないので、その寄り集めた「普通こうでしょう」という本質的には偏見というものさしをあててお互いを認識していく。半年ほど前職場の人間と揉めた時にそれを痛切に感じた。「こうするのが当たり前でしょう」がそういったお互いの言い分が食い違い続けた。何度話しても、そもそも言葉が通じず、互いに「話す事が無駄」という結論に至った。ドライな関係に持っていけたらばどれほど良いだろうと思ったが、それも叶わなかった。

 不愉快な自分とは相いれない人間が同課内で目に移り、会話をすることが強要される。そんな空間では苦痛にしかならず、結局は相手の退職にて終焉した。

 人間関係、そして常識のすり合わせはなんと難しいことだろうと教訓を得た。

 

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ここからは少し話がずれるが、その普通ってものの話。

 インターネットが日本人みんなが使う世の中になって、確実に「当然」というものは広く認識された。常識としてみんながそれをSNSやインターネットコミュニティで取り入れる事で、全体的には良い方向に向かっているとは思う。

 ブラックな会社で努めている人はその会社から出られずにいた。しかしそれは間違いだと流布されている。学校の教室でいじめられている子どもはゲームなどで外の世界とつながる手段を得て、閉じたコミュニティからは簡単に出られると知った。日本人として礼節通りに働く人のが当然と思っていた人は他の国での「電車は遅れるのが普通」「レジ打ちは座ってだるそうに仕事をするのが普通」そういった当たり前が壊される情報を得た。そうか生きるってのはもっとフランクでも良いのかと納得した人もいるかもしれない。

 

 とまあなんか、それっぽいような言い回しでしゃべるが、それでも案外開いているようで閉じていたりもして。あなた専用にカスタマイズされた情報はそれぞれのスマートフォンで偏って取り入れられる。

 それがまた新しい肩こりみたいなめぐりの悪くなったものとして別のしこりも起きているんだろうけれど。

 当然インターネットだけじゃない。女の子たちは女の子だけのコミュニティの当然を見ている。男は男だけの当たり前を並べる。高年齢は高年齢と。学生は学生と。高収入は高収入と。アーティストは。仕事関係は。宗教は。

 

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 とまあ割合長く書いたが別に何処に着地するまでもない、あなたの目の前にいる人は思った以上に別の人種なのだという事を普段から考えるようになった。そしてその偏見は上手にすり合わせる機会すら、機能せずに時に壊れるもんである。

 

 大分とっ散らかった話を書いた。チラ裏としてでも読んでくれていたら嬉しい。話に落ちを付けるなら「ごめんなさい」と「ありがとう」と「おはようございます」がぎりぎり言えれば実は案外問題は問題として放棄して、次の時間を一緒に過ごしていける可能性は上がるくらいには思っている。

 また月曜日に。土日作曲がんばるぞ。